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人物名 |
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本文 |
玄砂法師は洛東知恩院光玄院に住持す。いまだ若けれ共、よを厭ふ心ふかく、人間の交りものうくて、其院の傍に人語の響ぬ所を撰み、かり屋をしつらひ、机一脚を居て、読経、学文など怠らず、旦家の訪まうづるにも、奴僕の出あふのみなれば皆親しみなし。あまさへ雨ふれば座敷も庫裏も漬ければ、常に他行して院をも心にかけぬ僧也など誚ながら、修理をくはへんと謀るに、さすが院主に談ぜざればかなはず。かくといへば、とかく旦那打よりてよきにはからひ給はれ、日比の施物そこにも有べし、こゝにも有リと、袋棚、畳の下、鴨居の上などより取出さるれば、旦那ども大きに驚き、かねて思ひしにたがひて尊き人なりなど讃美しける。其後、此院もとかくうるさく覚えて、鞍馬山の東にかた斗の庵をかまへて住れしが、又高雄山の麓にうつりて、程なく正念に終ヘラれける。其年いまだ四十にもたらざりしとなん。 |