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人物名

人物名広瀬才二 
人物名読み 
場所 
生年 
没年 

本文

名は鱗、広瀬氏、字才二にして即通称とす。是堀川学生の通例なり。 東涯先生に学ぶといへども、老荘を好みて一家をなす。又書に名あり。為リ人介立にして清操あり。家極メて貧けれどもうれへず。独居して、あるは糧尽油なきに至ることもあり。或ル人来り、興に乗じて物語したるに、午時に及べれば、午飯を喫し給へ、とすゝむるに、笑ふて掌を撫、けふは米なきゆゑに不食ハとこたふ。客驚きて、さらば米を参らせん、其代りには公の交したしき宮筠圃通称常之進。伝は既に前編に出せり。 の竹の画を貰て賜はれとて、其まゝ米多贈ければ、其後、筠圃のもとにて其よしを語りしに、それこそ安きことゝて、あり合たる墨竹四張をおくられしが、其価にて二年は米薪乏しからざりしとぞ。かく貧けれど、或ル時、梅道人の画をみて頻に渇望し、人に金を借りてやうやうに買得す。しかるに東涯これを見て大キに歎美せらるゝ故、明の日たゞちに先生に投ず。人其意を問しに、吾欲するも人のほりするも同じことなれば即参らせぬといふ。をかしきことは、冬の朝タ隣の家婦独居を憐み、火を持来り巨燵に投ぜんとせしが、中より狗子多く出たり。婦人胆を消し、こは何事をし給ふぞといふに、主人それはよんべ風雨烈しく、寒さ堪がたかりしに、狗子あまた鳴声悲しければ憐みて内へ入レ、幸巨燵に火もなければ、これに宿せり。渠さむからず吾も暖かなりしといへり。