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人物名 |
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本文 |
丹波国栢原、田氏女捨子、其家に聟どりして男子五人ありて後、夫死し、たゞちに盤桂禅師を師として尼となり貞閑と号す。幼より風雅に志有。六歳の時、 雪の朝二の字二の字の下駄のあと といへりしより後、季吟法印にまなびて、はいかいに名あり。粟の穂や身は数ならぬをみなへし 花をやるさくらや夢のうきよもの など人これを称す。或諸侯、道のついでかの家をとひたまひて、栢原にをしや捨置露のたま といふ句をたまひし事も有とぞ。尼となりては省悟せる所、師の旨に愜ひ、終に播磨網干竜門寺盤桂禅師の寺なり。 の傍に不徹庵を創して、今猶伝れり。其自画賛、田氏にのこれるは、秋風の吹くるからに糸柳こゝろぼそくもちる夕かな これは薙髪せる時の歌にやとおぼし。其男子、長は家を嗣ぎ、三子は出家せるうち、一人は同じく盤桂禅師の弟子となり、後竜門寺を嗣り。末子、忠介は夭死し、其妻も若くしてさまをかへ義香と号し、不徹庵に居て姑に給仕す。これもはいかいをよくし、うたをもよみ、貞操ありし人とぞ。 |