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人物名

人物名雨森芳洲 
人物名読みあめのもりほうしゅう 
場所近江伊香郡雨森  対島藩 
生年 
没年 

本文

芳洲雨森氏、名ハ誠清、字ハ伯陽、通称東五郎、木下順庵の門に遊て、新井白石、室鳩巣、祗園南海の諸老とゝもに名を天下に成せり。京師の人にして、対馬の文学となり、漸くに昇進す。音をよくして唐音、韓音ともに通ず。韓人、此翁と話して、公三国の音のうちにはことに日本よしといへるもをかしきが、これにて異邦の音、其国人に彷彿たるを知べし。篤実ノ碩儒なれば、其遺言政治の助となること多しとなん。近年上木せる橘窓茶話、たはれぐさのごときは、一時消閑の随筆といへども、其気概はた博聞を見るべきの一旦也。又蒿蹊ことに感心せる一件は、嵯峨天竜寺、翠巌長老、同松ノ翁長老へ贈られし俗牘、二師の自坊三秀院にあり。極老の後、国歌に志て精を尽されし旨也。おのれが好む道なるが故に嘆美せるにはあらず、老てはますます壮成べし、といへる古人の心ばへに似て、朝に道を聞て夕に死すとも可也、といへる聖語にも愜へるもの歟。此一条により、まして其本色の漢学におきて若きよりの格勤押て知べし。書牘左に掲ぐ。吾友、春日亀蘭州話に、此先生、荘子をも千遍読せらしとなん。然らば経書はまして然らん。読書千遍義自通る意にや。   旧歳ノ御状相達シ御返書未仕ラ候内、新歳之法翰又々相達シ、忝ク拝見仕リ候。弥御堅固御重歳被成サ候由、欣慰此御事ニ奉リ存ジ候。此元不相替ラ私義無為ニ罷在候、両度共々御佳作御為セ見被下サ、扨々御上京以後別シ而御精被出サ候御事ニ御座候哉、各別に御上達被成サ候様に奉リ存ジ珍重不過ギ之ニ候。詩者做多ク、看多ク、商量多シ、と申候。兎角多ク御作被成サ上手に御成リ可ク被成サ候。商量の字先ヅは人と相談する事を申候へども、人と相談いたす斗リにては無ク之、以テ心ヲ問ヒ心ニ、我心にて思案する事をも商量と申候。俗話にも、人の申事を承り思案いたし御返事可シ申スと申候時は、待ツ我商量シテ回話スルヲと申候。和韻いたし遣シ進申候様に被仰下サ候。此元御逗留中は、一時の御挨拶と存ジ、めったに詩も作リ申候へども、上方まではづかしく御座候而登ぜがたく御座侯。夫故和韻をば仕リ不申サ候。御宥恕可ク被下サ候。此に一つをかしき咄御座候故書付掛ケ御目ニ候。御笑ヒ可ク被下サ候。去年より繁右衛門方久、対馬の国老、古川氏。後にも見ゆ。 など皆々寄合、歌の会をいたし、間には私其座へ参候事も候へば、私にも是非歌をよみ候へと申候へども、詩迄は平仄なりと習覚居候へども、歌は終に百人一首の講訳をさへ承りたる事も無ク御座、かな、けり、らん、一つも埒は明キ不申サ候。其上、歌ことばとては猶々存ジ不申サ候に付、兎角、古今をひたと読候はゞ、歌ことばにても覚え候はんやと存候に付、古今千遍読と申願を心に立テ申候而、最早百五十遍は昨日迄によみおほせ申候。今迄の積りにいたし候へば、八十四の七月に千遍の数満申候積りに御座候。其間に老耄いたし候か又は閻羅王より勾死鬼など遣し被申サ候へば、可キ仕ル様も無ク之候得共、先は願を満候心に御座候。右千遍読済候而、さて歌をよみかゝり申候心に御座候。是は寿命の事はわきにのけをきての分別に御座候へば、さりとはをかしき事に御座候。しかし私最早世間に望ある者にもなく候へば、かくいたし死を待チ候も一奇事と存ジ立候事に御座候。此段書付掛ケ御目ニ候ば、老人さへかく存候事に御座候故、皆様にも御年少に被成御座候へば猶々むだに御くらしなされますなと申上度、如ク此ノ御座候。桂淵師、大愚師、岱宗師、同志の御面々へ御参会之節、此旨御伝ヘ被成サ可ク被下サ奉リ頼ミ候。申シ度キ事も御座候へども、老筆難ク堪ヘ早々及ビ貴答ニ候。余ハ期シ後音ヲ候。恐々謹言。

二月十五日 雨森東五郎 誠清 亶蔵主様私云、後、松翁長老にて翠巌長老の弟子なり。 又一通是は同年の事にはあらず。猶、後にくはしく論ず。 歳首ノ法札被下シ置カ忝ク拝誦仕リ候。先ヅ以テ新歳万福御清勝之由欣慰此事に奉リ存ジ候。歳首歳暮之御詠被下サ之、方久方へも早速遣シ之同前に拝吟仕リ候。古川繁右衛門只今は束髪いたし方久と申候。歌に今稽古仕候へども元より不才之上、老後の所作に御座候故、少も埒明キ不申サ候。歌に今と云よりは自己の事と聞ゆ。謙遜甚しく、傍輩ながら方久のことは見えず。猶、後に論ず。 元来八十一歳の時、古今千遍、歌万首と申ス所願を立候而、千遍読は二年かゝり相済、一万首は去年こしらへ仕舞申候。前文八十四の七月に千遍の数満申候と有て、こゝに八十一歳の時願をたて、千遍読は二年かゝり相済、一万首は去年こしらへ仕舞申候とあるをみれば、あらかじめはかられしは八十四の七月までの積りにてありしにおもひのほかにはやく業成りて、二年にて千遍読は満、そのゝち一万首も亦ニ三年にて終りしにや、年歴のつもりかくのごとし。前の文と年数愜ざる故に是は方久のことかと疑あれど、全く自己のこと成べし。 小児の円機活法を見候、同前なる和歌に御座候故、よむとは申がたくこしらへ候と申候。如ク此ノ仕候へども歌は申に不及バ、歌にゝたるものも出来不仕ラ、但老後の消遣と存ジ候までにて御座候。こゝまでのつゞきにて、自己の事にて、方久をいふにあらざるを知べし。 当和尚様へは御縁御座候歟一月に一度ほどは碁も御参会仕リ候。当和尚とは対馬当番の和尚なり。 是もひたと負ケ申候。何をいたし候ても老人は役に立チ不申サ候。必々和尚様にも御年よられまじく候。一、祇園与市方へ被借サ候橘窓茶話は、彼方より如ク期ノ御返し申上候哉、彼方へ書状遣し候へども、于今返書無ク之候、老人の事故若も病気哉と気遣申侯に付、何とぞ康健不健康之事、彼方屋舗へ乍慮外御尋被下サ候へと、是等の趣、去年申上候へ共、終に其の返事承知不仕ラ。若は中途にて浮沈仕候哉、何とぞ与一事御聞被下度ク、後便を相待罷在候。一、かなづかひ、御大事の御書物御借被下サ、写仕廻候に付、去年指上申シ候。是は定而御請取可ク被下サと奉リ存ジ侯得共、此度之尊書にも其事相見え不申サ侯に付、御尋申上候。此外申上度事山々に御座候へ共、年ましに書状相認候事難儀に御座候故、省略仕リ候。但御懐敷奉リ存ジ候。情意御遠察被成サ可ク被下サ候。再拝稽首、謹此不備。

三月三日 雨森東五郎 誠清   三秀院老大和尚 貌座下私云、翠巌堅長老なり。 かくて易簀は八十八歳の正月六日とぞ。先に挙し僧衆の宗旨につき、堂社の建立に付、生涯の力を用られしも、此老の学術に精を入られしも、畢竟同じく我分を尽して天地の恩に背かずといふべし。おのれらがごとき、暖に着、飽まで食ひて、犬馬の齢を積りしものは恥るに余りあり。人も亦此風を聞て興起あれとぞおもふ。