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人物名

人物名小万女 
人物名読み 
場所 
生年 
没年 

本文

摂津国某城主は、もと豊臣秀頼公に仕へて、北の方もろとも大坂の城中に居給ひしが、度々直諫して旨に逆ひければ、逐電してあとをくらまし給ふ。其北の方と八歳の兄君、三歳の妹君捕れになりて、城内のかごかなる所にこめられておはしけり。明暮唯夫君の事をのみ歎きて過し給ひしを、婢女に小万といへるがかひがひしき女にて、侯は都の清水寺におはすよしを聞出て北の方に告ければ、いかにもしてそこに行ばやと思しけれど、人めしげきに思ひ煩らひ給ふ。小万また城中よりの間道をかうがへ、水門より出て淀川を渡らばやすかりなんと、みづからものみし終りて後、北の方にまうし、自先番袋に手廻りの調度、衣裳など取入、頭に戴キながら、夜に紛れて彼水門より忍び出、淀川をおよぎのぼりて、とある松蔭に袋をかくし、又およぎてかへるさに心をつけて、小船の主もなきを見出し、おのれは水にひたりながらふねを押てゆく。折しも棹さへ流れきたれば拾ひとりて、芦原の便よき所に舟をかくし、北の方のおまへに参り、兄君を自の背に負、いもと君を北のかたの背に負せまゐらせ、からうじて彼舟にとりのせまうし、棹さしてかの番袋を取出し、ほのぐらき月かげにたどるたどる。只あたりの女房の物まうでのけはひに取なしけれど、夜あけゆけば行かふ人々見とがめて、たゞ人とはみえずなどいふを、きこしめして、北の方は心ぐるしういとゞ道をいそぎ給ふが、山崎のほとりにていとむくつけき男あとさきになりて、いづくにおはす人ぞといふ。清水まうでするもの也、とのみいひて過給ふに、此男、思ふ所ありげに走り過しが、五条の東までおはしたる時、彼男大勢のわろものを引具して来り、四方より囲ければ、おどろきながら北の方声をいらゝげて、山だちら道を遮は何の為ぞ、とのゝしり給へば、一人がいふ、まづ其若子たゞ人とみえねば、おくるべき所へ送りて賞を得ん。次に女房のみめうつくしくおはすれば我思ひ人とせん。其次には番袋のうちによきものあらんをとらんと也と、いひもあへず袋をとりにかゝるを、北の方、小万共に用意の懐剣をぬき出して切てまはる。賊はたゞ手取にせんとあしらひしが、つよく切立られて逃んとしては又集り、終に若君を奪ひて逃んとす。北の方、人の手には渡さじと、賊が首とつらねて若君をも一刀に切給ひ、今は是迄と思し、最期の供奉せよ、とたゞちに四人まで切倒し給へば、小万も六人迄切ける。其他手疵を負ふもの数しらず。ちりぢりに逃けるが、北の方も数ヶ所の手疵に堪たまはず、清水の馬とゞめに休らひ、せめて父君に妹をみせよ、との給ひて息たえ給ふ。此北の方はよに双なき美人にて、しかも箏をよくし、和歌を好、長刀又ことに上手にておはせしかば、此時もかく懐剣わざにて荒くれものを切たて給ふ。其詠歌のうち、

暁の月も入さの山かげになどいねがての小男鹿の声

といへるを聞し。かばかりの人の思はざる難に身まかり給ふことかなしけれ。さて、小万は同じ道にと思ひしかども、妹君のために力なく思ひとまりて、あたりちかき寺をたのみて御ンゾ衣など布施にして御からをかくし、追善をたのみ、さて、こゝはいづこととふに、清水寺のよしを答ふるに、御台所のためいとゞ残多くかなしさやるかたなけれど、父君のありかを尋得て、妹君を渡しまゐらせける。かゝる騒動にも、背に負へる疵一所のみにて猶健なりしとなん。忠にして智あり、しかも勇猛なるは、世にめづらしき女といふべし。

(追記)

思孝云、予がしれる老婆、其番袋と銀の竹ながし三筋と手箱一つを伝へ持たりしが、天明の火に焼失たり。今は此調度につきて常にかたりしまゝを書つく。又銀の竹流といふは、細き針がねのさまして八寸ばかり有、鋏にて切で用るもの也。蒿蹊云、おのが類族の家に伝へもちたるは、針がねよりはやゝ平めにしてたけも定らず、通称はさをがねといふよし。形のかはれるも有にや。近世の小玉銀など用るごとくながら、是は心にまかせて切用となん。割印などはかって見えず。今よりいへば質朴なるものなり。

図版