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人物名

人物名室町孀 
人物名読み 
場所 
生年 
没年 

本文

洛室町三条の南なる商家のうら家を借りて住孀あり。さしたる産業をなすともなくて、日毎に酒をのみ、また魚を買ては、人をももてなしなどして暮しけり。あるとき、彼商家の妻夫にむかひていへらく、かう常の業あるがうへに、家をも持ながら、たゞいとまなきに、いつ心を休めてたのしむといふこともあらざンめるに、此うらの孀をみれば、何をよすがともなきに、明暮酒をのみて心のどかに見ゆるなん、いとうら山し、されど今更好まぬ酒を呑てもたのしかるべきにもあらず。さは今より日ごとに酒さかなの価をはかりて除置キなんや、といへるを、夫トもげにとて、そのおもふにまかせしに、一年に余りて、十片の金つもりけり。さるに夫トことありて近江へ行ける時、彼十片の金を出し、これもて、わたにても買来りたまはゞ、徳付なんといへれば、やがて携へ出しに、大津の石場にいたり、船にのらんとして、あやまちて海へおとしける。いかにともせんすべなければ、心ざす所へ行て、四五日経て家に帰り、其よしをかたりしかば、妻もいと本意なくおもひけれど、かゝることもすくせの故ならん。身におはぬ金なりとおもひはるけて過しけるが、しばしありて大津の魚商人大なる鯉を荷ひきたりて、もとめ給へと勧めしを、望なきよしいひしかば、既にかへらんとせしに、彼うらの孀聞つけて、例のごとくこれ買んと直なして、たゞちに庖丁しければ、腸のうちに紙につゝみて金十片あり。かねて家主のおとしたることを聞ければ、とくもてゆきてしかじかのよしをのべてわたしけるに、あるじ、我はさきに海におとしたれば、これはわがものにあらず。そこの買給へる魚のはらにありし金なれば、そこのもの也、とて戻しけれども、首をふりて、其まゝ置てかへりしが、家主やまず、またもていきて与ふ。孀婦もかたくうけず。互にいひつのりて高声に争ひしに、あたりの人々よりつどひてとかくあつかへども聞入ざるに、せんかたなく、官へ訴へ出ければ、官にも互に清廉なることをいたく感じ給ひ、汝等がおもむきを後世につたへんこそよからめ、其十片の金にて左リ甚五郎に鯉をほらせ、此ころ同じ町に住る名誉の細工人なり。 祗園の山につくりて、鯉山と名づくべきよし仰ければ、其ごとくいとなみ、今も其所に残りて、年々六月十四日のかざり山とす。此ころ祗園会にはとしどしの催しありて其品さだまらず。閑田子云、能の狂言鬮罪人といふものに、祗園の当屋にて其年の催しを相かたらふむねを作れり。其時代のさまをしるべし。 附、板倉伊賀守殿、京都を守護し給へるころ、三条橋頭にて金三両を拾へる人あり。落したる人いかにうれふらんと、さまざまもとむれども出来たる人なし。せんかたなく官に訴へければ、此よしを書付辻々に張せ給ひしかば、落したる人出来タりて、我おとせしも、彼者拾へるも皆天也、吾とるべきにあらずと辞す。拾へる人は訴出るほどのことなればもとよりうけず。互に譲ければ、今の代にもかゝるめづらしき訴をきくことのうれしさ、堯舜の民ともいひつべし、と大に感じたまひて、吾も其中に交らんとて、又あらたに金三片を出し、六片となし、両人へ弐片づゝあたへ、残る二片を自納め給ひ、此後汝等むつましくせよ、何事によらずおもふことあらば聞ゆべしと、ねもごろに仰給ふとなん。上ミに仁あれば下義を好むといへるも此事ぞかし。