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人物名

人物名高田敬輔 
人物名読みたかだけいほ 
場所 
生年 
没年 

本文

敬輔高田氏、近江日野売薬やの子なれども、産業に疎く、わかきより御室御所に奉仕してありし間、たゞ画を好みて、其比浄福寺古澗和尚画に長じられしかば、従ひて学ぶ。古澗和尚の画、飄逸一家をなせり。大画には泉涌寺本堂に掛る浬槃像あり。もと大仏殿へ納んために書れしを障ありて当寺へ寄附せらる。又嵯峨清涼寺釈迦堂後門に、毘首鵜磨仏像を作る所の画などあり。常に大黒天を好みて書れしを人も賞す。山水なども希にあり。山水中の人物はやゝ大なるも眼鼻分れず。しかも離れてみれば体貌所作さだか也。よに人物草画といへる印本、飄逸至極のものなれども、筆者を記さゞるが此和尚の筆也、と敬輔話せられしとぞ。 しかも和尚、おのれは其家にあらず、且綵色にくらし、狩野家によりて極綵色の法をつたふべし、とて紹介して狩野某に学ばしむ。さればしばらく其家風を画くといへども、つひに自一家をなせり。人物の形状、又墨黒なる趣などは頗ル古澗和尚に似て、又墨の濃淡をもて密画をなすは、其工夫に出たりとぞ。登竜門の鯉の画を見しに、鯉の全身を飛泉にすかして見せたるが、墨色をもてわかつ趣など奇なるもの也。水中の占魚は得意にしてあまた出り。一旦、江戸にありて或ル高貴の命により、墨画の鷹を画けるが、諸人に勝れたるより大きに名を得、法橋より法眼に叙す。古澗和尚に従ひたる故にや、浄家の仏学ありて阿弥陀経の曼茶羅を画きて印施す。又近江或寺の内陣に大経の意を山水にしてゑがけるなどは、甚賞すべきもの也。九十斗までながらへ、尚画力おとろへず。眉間に疣ありて後には毛を生じたれば、画名に眉間毫翁とも書り。為リ人ト風流にて、山川の美景に対して余念なかりしを、おのれ少年の日、湖水の入江に舟をともにしてしれり。

(追記)

右二伝は閑田子が補ふ所にて、花顧子あらましかば、画品につきて評する所も有べけれど、もとしらざる芸なれば、唯うちみる所と他の品するをあはせて録し、当否は識者に委ぬ。