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人物名 |
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本文 |
亀田久兵衛は、書家窮楽が養子にて、もと窮楽住ける近隣にありし寡婦の子也。十余歳の時、母とともに物詣し、人たちこみたる中にて過て傘をとりかへて帰り、これをかへすべきよしなきを憂う。母、何かは苦しからん。ましてこれはわがのよりも新らしければ利を得たりといふに、いな、其新らしきが故に尚返さではあられず、と答るを、窮楽聞つけてやがて取りて子とす。窮楽能人をしるといふべし。 さて、年来書を学ばしめ、文をよましむるに、群をぬけてともによくす。さるにある時、父、汝は木綿を商べしとふ。久兵衛おどろきて、吾不才には侍れど、学を好み、はた君の業を嗣んとはげみはべるに、何の御心にかなはぬことありて、かくはのたまふやと歎く。いな、さにはあらず。はじめより汝には交易を業とせしめんとおもへり。されど得分多きものにかゝりてはかへりておこたりもし、禍も生ず、とはかりて、利の微なる物をこれかれの人にとひきくに、油、紙、木綿に過たる小利の物なし。それが中にも油は時価の高下甚し、紙は品多くて煩らはしといへば、木綿をとおもふ。いづこにてもこれをもとめてうれ、と教るに、窮楽が思惟甚奇特なり。 やがて其日、近き所の木綿商人に語らふ。商人此をとこをまだしらねば、いへることは、いかにも窮楽翁の御息にたがはずは、木綿は何斗もあたへまゐらせん、但しさきに人伝をもて翁にたのみ参らせし書もの有て、久しく果し給はず。若これを携へ給はゞ証とすべしと。久兵衛即父にしかじかといへば、げにさることありとて、ただちに書てあたふるを持て至る。ここにおいて商人其約のごとく売物をあたへしほどに、あすともいはず、荷ひてうりありく。其後又父、あるむすめをとりて娶せ、宅をことにせしむ。宅ことなりといへども、夜纔に明ればやがて翁のもとに行て、戸外よりうかがふこと二たび三たびに及び、翁眼覚たる時、身じろぎの音にまれ、咳声にまれ聞つくれば、久兵衛参りたりと告て内に入、湯水より食事のとりまかなひをもして吾宅に退き、さてまたあきものに出んとする時も、今参ると告グ。帰りても、あつき時寒き時をもいはず、そのまゝに至り、安否をとひ、休めといはざればさらず、此住居同じ街なれども、あまりにたびたびゆきゝする孝心に感じ、あたりの人々尚も近かれとはかりて、明たる家の壁をこぼちて通はしめたりとなん。あるとし窮楽下血を病みて、臥牀を汚すこと時なきを、自取捨清む。妻恨み歎きていふ。是はわがすべきわざなるを、君まかなひ給ふは、心を隔給ふやと。久兵衛首をふりて、いな、われは親なるゆゑにする也。汝もまた同じとはいへど、心のうちにけがらはしとおもふは必定なり。露斗もさおもはんには、父のためいたはしければせしめず、といふを、妻もさるものにて、いかで隙間もあらばわがとりあつかはんとせしかど、其ひまなかりしとなん。是にてよろづの仕へのやうをしるべしと、窮楽門人の話也。又語らく、窮楽も親ある時孝なりし。其一つをいはゞ、ある時筆を染て字の篇を書たる時、母呼しかば、ただちに至る。さてことはてゝ座に復し、傍を書つ。其所へ門人来りしに告て云、およそ篇の勢をもちて傍をかゝざれば、はなればなれになり侍るを、唯今かうかうなりしに、おくれて書し傍のつりあひ、常よりもよし。是他なし、母の陰也、親といふものは有がたきもの也、といへりとぞ。おもふに自如キ此ノ孝心ありて、また如キ此ノ孝子を得しは、自然の報ならずや。窮楽酒落の趣は後に伝をたつといへども、其徳行の事実におきては、久兵衛の因ミにこゝに挙るのみ。 (追記) 凡近来民間に忠孝の行実多きは、仁風の化によるべし。されば見聞人もまたこれをよろこびて筆記し、上木に及ぶゆゑに、今繁く出さず。古きがもれたると、今生存の人とは、花顚子が拾遺の挙に委ぬ。 |