丹後宮津青山侯今美濃郡上に封をうつさる。
の医某、故ありて姓名を不挙。
常に豪侠放逸にして、家に在ては斗米の蓄なく、他に行には歩に代るの輿馬なし。妻妾なければ子もなく、只ひとり明し暮し、衣服、調度の類も代なして酒に好、起ては呑み臥ては呑、酔て泥のごとく、人を見ることは塵芥のごとく、物をものともせぬしれもの也。つひに其不行跡に罪せられ、所領、家財をめされ、追放にあふ。其時、役人立会て家財をしるすに、広き家にあるものとては畳四帖、莚三四枚、蒲団一つ、小鍋と釜の破たる、徳利に茶碗三つ四つ斗、下駄一足あるも片々にして揃はず。唯あやしきは戸棚ひとつ厳しく錠をおろしたれど、雨漏と見えて上に古き合羽を覆ひ、其合羽も破たれば又竹皮の笠をおほへり。是はいかにと錠を押切て開きみれば、藍皮威の具足一領、誰が作とはしらず弐尺五寸の刀一腰新に砥を出るがごとき物あり。其傍に金三十片服紗に包めり。見るもの胆を消て詞なく、急ぎかくとまうしければ、侯もおどろき給ひ、四方に人をはせて招き返し給んとするに行方しれず。あるもの、此人は心得よければ江戸のかたへ行しならん、と東海道をさして追はせしに、はたして草津の駅にて追付、さまざまにこしらへて伴ひかへり、本領を返し給ふのみか加増を賜ひて褒給ふとなん。此のちは其武芸のほどもしりてもてはやしける。今も其家つゝがなく伝はるとぞ。
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