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人物名

人物名 三井養安 
人物名読み みついようあん 
場所  
生年  
没年  

本文

三井養安は越前府中の医士にて、為リ人ト無欲正直にて、逸興ある人なり。病家より薬謝を贈り酒肴などを取添る時、其添たるものはかなら ず返す。薬謝も多き時は其業のほどをはかりてかへす。しかもまた遊女ノ輩■毒の療治など乞時は、汝らは実なきもの也、薬礼はちがひなく せんや、と言をかたむ。凡物をつくろひ荘ることなきこと此たぐひ也。ある時、表に人来りて案内するに、こたふる声、地の下よりと覚えてこゞもりて聞ゆる を、あやしとおもふ間、井の内より養安出たり。きせるくはへながら足にはわらうづをはけり。案内せるものおどろきて、いかにといへば、あまりあつきに堪 ず、井の内に入て凉みたりとこたふ。わらうづはいかにといへは、階をさしているゆゑにすべるをおそれてこれを着、といへりしもをかし。六十斗の時、其妻と 僕一人をつれて伊勢より尾張、京、大坂、大和をめぐる。名護屋にて商家の見せに、石に小サき木草植たるをめでゝ杖をたてゝやゝみをるを、妻僕などはゆくさ きをいそぎて、いざいざと催せどもさらず。つひに此町にやどりとらんといふに、せん方なく宿をもとめたれば、又彼所へ行て、やゝ見をりて、終に此石を買ん といふ。旅人の重きものをいかに、いづこの人ぞといへば、われは越前のもの也。此石もて行べき人をもかたらひてよとて、石は商人のいふまゝに買て、かのや とひたる者をもておくらするに、賃銭の貴きをもいとはず、故郷へは一封書をもやらず、それぞれの所といひたるまで成し。それより京へのぼり所々を見物せる 間、蓮華王院の矢数する所にて、和佐大八がいれたるといふ限の木俗、貫の木といふ。 を見て、其志の狭きをにくみ、杖をもてうちて悪口す。さて、人、大仏は大ならずやといへば、豊太閤の建給ふものなれば、これほどのことはあやしむにたらず といふ。東西本願寺はいかにといへば、時に行るゝ宗旨なれば繁昌はさもこそといふ。唯黄檗の作りやうのめづらしくて清浄の地なると、石山の石の奇なるをの みくりかへしめでたりとなん。大坂へ行ては、妻と僕のみ日毎にこゝかしこ見めぐらせ、おのれはひとりいづこへか出行を、宿のあるじあやしみて、ひそかに人 をつけて見せしむるに、其長町の宿近き道頓堀の某の所に、乞食の縄をもていろいろの業するを杖をたてゝ見をれり。いくかもたゞ同じ所にて同じことをみる。 これはいかなることぞ、ととへば、此業をよろこぶにはあらず。凡ソあまたの見物者銭をやらずして散ずるがいたましくて、われは毎日一百銭を与へて不足を補 ふなりといへり。

途中首夏にあひて、

血をわけた虱いぢらし衣更

是等をもて其人をしるべしと彼国産の人かたりき。