前編の余は、此人心剛にして然も方正なれば、富貴の家の薬謝におきては、黄金多からざれば不納メ。貧窮の者には薬のみならず米銭をも施しぬ。かゝれば、家まどしく万たらはねども煩とせず。債を乞ふもの来る時は、此ごろの療治貧家のみなれば物をとらず。頓て大人の病を愈して後つくなはん。夫までは待べしと、何の会尺もなく大声していひはなせば、風狂人とのみいひ伝ふ。さるに、ある時尾張侯の辟に応じ御疾を愈し、金銀数多賜りければ、やがて門に札をたてゝ、
此度名護屋侯の御病気医療し奉り、早速平愈し給ふゆゑ金銀多く頂戴申候。古借の面々書出しを以て取に参るべし。北山寿安
と記しける。以上花顛が録せる趣なり
閑田子云、寿安の墓、大坂天王寺町くちなは坂太平禅寺にあり。去年案内の人ありてはじめて知れり。碑碣にあらずして等身の不動の石像、左右に金加羅、世伊多加の脇士をも具す。地には石を畳み、石の燈籠等魏々たり。其不動の背に録シて云。
等身ノ石像。爾生前是レ誰ゾ。吾ガ死後是レ爾ヂ。戴ニ断シテ死ト和トヲ生。爾ト吾ト空也ル耳。北山友松子並題。
(等身ノ石像、爾ガ生前是レ誰ゾ。吾ガ死後是爾ヂ。死ト生和トヲ裁断シテ、爾ト吾ト空ナルノミ。北山友松子並題。)
此像の背の火炎風に吹れたるごとくなれば、世に風吹の不動といひはやして、寿安の墓なる事はしらず、詣る人多きよし也。むかし織田道八、顔輝が筆の達磨禅師の像に題して、昔はだるま今は道八、と書て即自像に用られしに似たり。其気象しるべし。
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