[ 日文研トップ ] [ 日文研データベースの案内 ] [ データベースメニュー ] |
人物名 |
|
||||||||||
本文 |
摂津国今津の里、たはらや長右衛門(米屋与右衛門)といへるは、儒学に長じて節倹をつとめ、富豪なれども僕に交りて、自造酒の事をなし、世渡におこたらざれば、ますます富り。富るに随ひてはますます陰徳を行ふ。ある時親族の僕、主人の金百両をつかひ捨て行へなくなりしを、さまざま尋求て深く諫めて後、其百金をあたへ、ふたゝび主の家へ帰らしむ。又此里の内に路甚狭き所あり。されば火災あらん時に人の難あるべきをおそれて、其所を買て広くす。又板橋は水災のとき危しとて、石橋に造かへぬ。此類、挙るにいとまなし。尤常に貧人を恵ムを所作とす。されば此人死せるとき、遠近の男女集りこゑをあげて泣悲しみけるさま、釈迦仏の入滅もおもひしられけると、見し人語りき。こゝにをかしきことは、其悲しむ人の中に、愚なる嫗ありて、是ほどに学文したまへるさへよき人なるに、もしさもなくばいか斗よき人にてあるべき、といへりしとかや。一語天下の学者を砭針すといふべし。 |