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人物名 |
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本文 |
関東のならひ、貧民、子あまたあるものは後に産せる子を殺す。是を間曳といひならひて、敢て惨ことをしらず。貧凍餓に及ざるものすら、傚て此事をなせり。官の教あれども尚しかり。然るに陸奥白川の傍邑須加川といへる所に、内藤平左衛門といへる豪農これを歎きて、年毎に縁を求て、間曳んとおもふもの有ときけば、其養べき財をあたへて救へり。もと米価賎しき所なれば、多分の費にはあらず、と自はいへりとなん。此人、篤実類なくて学を好めり。されば是のみならず、人を救ひ、あるひは道橋を造り慈悲を行ふこと多ければ、領主も賞し給ひて苗字帯刀をも免され、士に准らへらるゝといふ。身まからんとせる時まで、孝経を枕辺に離たず、此救ひの業も世々守るべきよしを遺言せしかば、今其孫の代に及びても猶もとのごとく、しかもつゞきて篤実の人なりとかや。或僧この慈心を聞て、吾等の門を建ん施財をもとむるに、その人笑ひて、吾は人のうれへを忍びぬ故に救ふなり。寺の門なきは何かはくるしからん、といへりとぞ。凡世の富有の者の所為に異なり。 (追記) 此の草稿を見て幻阿法師曰、昔もろこしにも子を間曳く類ひありて有道の君子是を救へること、群談採余にて見しと、即うつして贈らる。 賈彪為ル新息ノ長ト。小民貧困多ク不養ハ子ヲ。彪厳為シテ其制ヲ。与殺ス人ヲ同ジクス罪ヲ。数年ノ間。人養フ子ヲ者以テ千ヲ数フ。曰ク。此レ賈父ノ所生ム也。皆名ヅケテ為賈ト。又東坡ノ曰ク。鄂岳ノ間。田野ノ小人例只二男一女。過ル此ヲ則チ殺ス之ヲ。云云。(賈彪新息ノ長トナル。小民貧困多ク子ヲ養ハズ。彪厳シク其ノ制ヲナシテ、人ヲ殺スト罪ヲ同ジクス。数年ノ間、人子ヲ養フ者千ヲ以テ数フ。曰ク、此レ賈父ノ生ム所也。皆名ヅケテ賈トス。又東坡ノ曰ク、鄂岳ノ間、田野ノ小人例只二男一女、此ヲ過ル則チ之ヲ殺ス。云云。) 是もまた制して救へるよしなり。文長けれは略ス之ヲ。官人是を救ふは尤仁政といふべし。されども志あれば尚安く、庶人にして金を捨て救ふは甚かたかるべし。中原の地にても間堕胎に及ぶは、尚間曳の類なれども、是は貧人の所為にあらず、婬婦のみそかごとなれば、救ふべき道なし。歎くべし歎くべし。 |