大石良雄、赤穂の城を退て後、暫其城下に在てことを辨へ、京へ登らんとせる時、もと使所の奴僕八介なるもの、同城下に住るが、来訪ひていふ。我も御供して京へまゐり侍らんを、今は老はてぬれば心にもまかせず。これは御対面たまはる限ならんと、御名残いはんかたなし。たゞし何にまれ御かたみの物をたまはらば、身のあらん限御傍に侍る心地ならんと。良雄うなづきて、げにことわり也。何ぞとらせん、とあたりを見れども、調度どもはや半は京へ送り、残れるも荷づくりたれば物なし。硯の入リたるはこひとつあるをあけたれば、金弐拾片ばかりありけるを、せめて是をとて与る時、八介大に息まきて、たゞちに投返し、是が何のかたみぞ、身こそ賎しけれ、心はさばかり下らんや。此たび殿の不意になくならせ給へるは、吾等ごときすら限なく悲しく口をしきに、おめおめと城を明て、はひ出る心にくらべらるゝか。今はかたみもほしからず、とてはしり出んとするを、さすがの良雄なれば、しひてとゞめて、いとことわり也、我あやまてりあやまてり。あまりに与ふるものなきゆゑの事ぞ。今おもひよりたること有とて、墨押すり、ありあふ紙引ひろげて、堤の上に編笠著たる士の、奴一人つれたるかたを書て、是はおぼえたるや、わかくて江戸に在し日、汝をつれて吉原の花街へかよひし道のさま也。是はかたみともなりなんや、といへば、忽大によろこびて、これこれ、是にまさる御かたみなし。其時はかくありし、兎ありし、など昔語して、泣々暇乞て帰りしが、其かけるもの、奴が女の聟に伝へ、その主なりし城下の医生の家に珍蔵せりと、其国人の話なり。義士の奴に朴実清廉の者有けるは、美談とすべし。
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