都島原の遊女大橋、実の名は律、もと彼所に大橋といへる名妓あり。うたよみ手書ぬるが、その手ことによければ、大橋やうといひていまに伝はるよし。此妓もその名を嗣るとなん。
よろづみやびを好めり。さばかりの女なれば、中々につひのよるべもなかりけらし、尼にならんとおもへるを、老たる母のためいかにとためらふほどに、栗原一素といへるは、世のすねものにて独あるを、よき戯がたきなるべしと人あはせけり。其家いとまどしければ、手づから雑事ども取まかなふに、猶うた物がたりを見ながらぞ飯をも炊きける。老の後彼嶋ばらわたりを過て、
よそにみておもふもつらし身の昔うき河竹のさとのタベは
此うた、下句などのつゞけがらはまほならねど、こゝろはいとあはれなり。またある人のもてる自画賛のうたはをかし。
わするなと契し春は夢なれや寐覚とひくる初雁の声
画もよくすとにはあらざるべけれど、其さま風流に見ゆ。またある所にてみしは、海辺雪を、
和田の原波もひとつに苫しろき雪をのせたるあまの釣舟
花もみぢの時、男はもちいひを腰につけて東山にあそべば、己レはさゝえを首にかけて西山におもむく。かたみに才をたゝかはしけるが、後に夫婦つれて有馬の湯に浴し、妻はそこにて髪をおろしたり。さて禅にも参じて、白隠和尚京師逗留の日はつねにまうでしに、折々冷泉寂静入道殿に出あひまゐらせしかば、和尚、此尼はもと島原の名妓なり、と語られしほどに、入道殿、さらばむかしのなげぶしといへるものを覚えたらん。うたひてきかせてんや、とのぞみ給ひしに、それはふしはかせいとむつかしくて、今は久しくなりてわすれたるがうへに、老ごゑにてはこはぶりもまねびがたし。そのころの小うたといふものも今のふりにはあらず。きこしめさんや、とて諷たりしも興ありしとなん。おのれまだわかき時、夫婦ともにしれり。夫はもと類ひなき遊蕩にて、美少年に淫し、家産をも破しときけるに、後はあらくれし老法師にて、大ごゑにてよくものいひ、万のことみなしれるおもゝちして自負せるを、にくむ人もあり、興ずる人もありき。京のうちにては人のしれるをのこなりしも、今は四十年のむかしなり。此妻、人に語りしは、都の四方にて景物のよき所々、月をみるには聖護院殿の東北に松の三本ある丘、ちどりを聞には五条のはしより下、夜深くなりては花頂山のふもとよし、水鶏はおむろの前、ひばりは朱雀野とぞ。其すざか野と五条のながれの下は、己もよくしりて、其言のたがはぬをおぼゆ。聖護院殿のめぐりもうちはれて、すべて月にはよき所也。松のある所はさぞなん。なほこゝろむべし。
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