石野権兵衛、弟市兵衛兄弟は、京師四条坊門西洞院の東に、桔梗家といへる商家也。兄弟ともに学を好み、堀川の流を慕ふ。且兄はかねて仏学をも好み、殊に三論に通ず。弟は本草に委しく、又画を能す。又雅楽を好むこと兄弟ともにひとしく、道遠しといへども音楽ある所といへば必ゆく。友愛深くして、兄の妻ある後も久しく同居す。弟学文などにつきて出る時、夜更て帰るに、戸を敲くことなし。纔に咳するを、兄速に聞つけて戸を開くこと常なり。もし聞つけざれば、門に立て朝に至る。母没して俗忌五十日の間、その墓所鳥部山に暁ごとに詣す。奠供と花水を携へ、丑刻過るころ宿を出て、卯刻近く帰る。兄弟伴ひて一日も闕ことなし。その生前の孝養知べし。市兵衛は一甫と号す。後同街の裏家に別居して、独身にて住りしが、夏冬となく頭をものにつゝみ、すびつのうへにやぐらをおほひしを、机にかへて書を見る。伊藤東涯、松岡玄達二先生、折々にとはれて談話有し外、世に知る人すくなし。草廬竜翁まだ幼くて、文よむことは、此一甫の勧めによれりと、此多能友愛のことをも語られぬ。後のさまもまたよく知人に聞き。市中の隠君子にて、近世めづらしとぞ。
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