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人物名

人物名北村篤所 
人物名読みきたむらとくしょ 
場所京都  京都黒谷 
生年 
没年 

本文

篤所北村氏、諱可昌、字伊平、即通名とす。近江野洲郡北村の産也。季吟法印の氏族也。 仁斎先生の門人にして、京師に住り。嘗て院中に召て学を聞せたまはんため、北面の氏を嗣しめんの内勅ありしかども、異姓を嗣ことをほりせずと、固く辞し奉りし。されども其人を慕せたまふゆゑに、儒服儒巾を制せさせて賜り、しひて召しかば、止ことを得ず、是を着て 院中に書を講ず。疾の病なりし時も、勘解由小路殿をもて、人参と中山といふ御硯を下し給りしは、隠士の面目と世に称せり。自筆、歳暮書懐の詩、吾党の人、彼子孫より得たるを左に写す。其生平を見るに足ル故なり。

(追記)

少小渉リ経史ニ。性気耽ル詞章。宿儒時済々。共ニ是レ丈入ノ行。生平所畏敬スル。此日皆既ニ亡ス。後生何ゾ寂莫タル。聖学将ニ榛荒ナラント。長安幾ク万戸。無シ人共ニ商量スル。所好ム与世乖ク。為リ愚ト又為ル狂ト。遭遇千古少ナリ。吾儕ラ特ダ何ゾ傷マン。幸ニ無ク升斗ノ繋。従セテ意ニ自ラ徜徉ス。請託絶シ権勢ヲ。拝謁無シ朔望。月花属シ我ニ去テ。吟哦習ヒテ為常ト。又無ク沈痾ノ患。老去リテ猶堅強。眼精耐ヘ誦読ニ。足力渉ル澗岡ヲ。車馬不須タ駕ヲ。冠蓋何ゾ仮張セン。生理又略足レリ。不用ヰ求ムコトヲ皇女ヲ。寒暑給シ裘葛ヲ。朝哺有リ糟糠。回ラス首ヲ一世ノ裏。比屋屢低昂ス。吾レ不覚エ衰廃ヲ。未ダ嘗テ有ヲ殷昌。悲ムハ貧児女ノ態。豈ニ入ンヤ丈夫ノ腸ニ。梅蘂欺キ雪色ヲ。柳条洩ラス春光ヲ。一歳此夜尽ク。依リテ旧ニ迎ヘン新陽ヲ。 (少小経史ニ渉リ、性気詞章ニ耽ル。宿儒時済々、共二是レ丈人ノ行。生平畏敬スル所、此日皆既ニ亡ス。後生何ゾ寂莫タル、聖学将ニ榛荒ナラントス。長安幾ク万戸、人共ニ商量スル無シ。好ム所世ト乖ク、愚トナリ又狂トナル。遭遇千古少ナリ、吾儕特何ゾ傷マン。幸ニ升斗ノ繋無ク、意ニ従セテ自ラ徉徜ス。請託権勢ヲ絶シ、拝謁朔望無シ。月花我ニ属シ去テ、吟哦習ヒテ常トス。又沈痾ノ患無ク、老去リテ猶堅強。眼精誦読ニ耐ヘ、足力澗岡ヲ渉ル。車馬駕ヲ須タズ、冠蓋何ゾ仮張セン。生理又略足レリ、皇々ヲ求ムコトヲ用ヰズ。寒暑裘葛ヲ給シ、朝哺糟糠有リ、首ヲ回ラス一世ノ裏、比屋屢低昂ス。吾レ衰廃ヲ覚エズ、未ダ嘗テ殷昌有ラズ。貧ヲ悲ムハ児女ノ態、豈ニ丈夫ノ腸ニ入ンヤ。梅蘂雪色ヲ欺キ、柳条春光ヲ洩ラス。一歳此夜尽ク、旧ニ依リテ新陽ヲ迎ヘン。)

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