青木主計頭長広は、肥前国長崎某社の祝なり。岡周防守とひとしく、神学をもてきこゆ。ある時、おもひがけぬことに罪せられて、竹をもて門戸を閉られけるより、今は神に仕ふべき身にあらずとて、都にのぼり隠れしが、時に名だゝる人なれば、桜町院かたじけなく詔を下して召給ひ、神代巻を講ぜしめ、宸翰をさへ賜りぬ。やがて是を首にかけて、わが守りなりといひて片時もはなたず、四方の国々に遊行す。ふじの山に登りし時よめる、
ふじのねを登りて見れば敷たへの枕に結ぶ草だにもなし
この道のさかしかりければ、二腰を捨て、その後は帯ることなし。さて、おのが家には、二度かへらざりしとなん。
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