淡海神崎群位田邑に位田は伊牟天と訓す、もとは里人の訛称なるべし。
儀兵衛といふもの有。産る所はしらず。二十有余にしてこゝに来り、賃雇を業とす。もしやとふ人なき時は他村に行て食を乞ふ。こふ所一日の
糧に過ず、余を与ふれは辞してうけず。其邑人他に往ことを止めて、邑中に喰べしといへば、否、邑中の人は我が行歩かなはぬ時たのむべけ
れば今は煩さずと答ふ。身につゞれをまとひ、居所は方丈にもたらず。いとまある時は豆を取りてかぞふ、何のためといふことをしらず。又つねに口のうちにて
つぶやくことあり、是はた人の耳に聞とりがたし。或人いふ、明朝に大豆を数珠とし念仏せし人あり。これもそのたぐひならん歟とぞ。
路の傍に建し札の類、書たるものをよむことをこのむ。邑中に吉凶のことあればかたぎぬを引かけ往て慶弔す。且葬あれば必ず送る。しかも一言を出さず。人も
し新しき衣服をあたふれば、旧きをぬぎ捨て、かつてたくはふることをせず。又人の家にやとはれし時、夜に及びて務あれば夜の食を喰ふ。しからざればくらは
ず。万ヅ正直此類なれば、邑人甚愛しけるゆゑ、荘官ふるき家と田十畝を与へしに、苗代の時より刈をさむる迄は、其田に庵を作りて是を守り沓をうつ。稲をこ
くにこき箸といふものを用ゆ。是は昔のならはしにて、今はみないなこきといへる具をもて便利に従ふに、このをのこ衆に異なれば、いかにととふに、われこな
こきなし、人の物を貸りてつかへば損じてあしゝとこたふ。因にいふ、むかしはみなこきばしを用ひ、所作なき老寡婦など是をこくにやとはれて口
を糊せしに、いなこきといへるもの出きて便利につけば、かく悲しきやもめのうれひとなりぬるゆゑ、いなこきをあだ名して、ごけだをしともいへるとぞ。世の
こと捷径によれば、皆つひえあることかくのごとし。
つねにうちゑみてあれども、児童などあしきわざすれば必叱す。月代を剃ず、生たるまゝの髪をわらにて束ねたり。終るとし七十に余る。まことに希代のものな
りしと、その近邑の人語れり。
|