山科のかたはらに田業をするおやこありしに、道行人の金の入たる袋をおとし置けるを、其子、高き丘にかけあがり、呼て還さんとす。何ごとぞととふに、しかじかと答ふ。おとすも拾ふも世のならひなるに、よしなきことにたづさはりて、わが田わざをな捨そ、といひけるとなん。此人は荷簣丈人の類なるべし。
(追記)
右は、雨森芳洲先生、たはれぐさにかけるまゝ也。げにもこれは杖を植て芸ひとに似たり。又管幼安が、金を見ること瓦礫にひとしく、鋤を揮ひしおもかげをおぼゆ。奇といふべし。然れども、おとす人の憂をはかりてよびてかへさんとするは惻隠の誠なり。吾は之に与せん。もとより物を拾ひてかへすはさるべき理ながら、私心におほはれて是を行ふ人稀なればこそ、蒙求にも黄向訪主と標し、
黄向行キテ於道ニ拾得シ金嚢ヲ乃チ訪ヒテ主ヲ還ス之ヲ。(黄向道ニ行キテ金嚢ヲ拾得シ、乃チ主ヲ訪ヒテ之ヲ還ス。)
と註す。それはなほ名もさだかなるほどの人にや。予が見聞ところ三人、皆、貧賎の人にして此ことをなす。一人は化子の老婆、三条室町街にて絹被の帛に包たるを拾ひて、其前なる商家によりて、尋ぬる人あるべければ、かへし給はれといふ。商家事繁きよしをいひてうけがはざりしかば、情なの人や、おとせる人のうれへをおもひたまへと誡しに恥てあづかり、また其名をもとひしかば、牢谷の亀といへり。さてしばしありて、ものをたづぬるさまなるものを見つけて、とひ正して与へしに、大によろこびて、これが報ひに、よねぜになどもち来り、彼婆子来ることあらば、おくり給はれと托す。果して又来て、いかにおとしたる人はしれたりやととふ。しかじかのよしを告て、彼むくひのものをあたへしかば、わらいて、是をうくるほどならば、彼ものを売て銭を得侍らましといひ捨て帰れりとぞ。又一人は近江八幡の近邑北庄といふ所の老農、八幡の人の金三十片を拾ひてかへせり。これも露斗のむくひをうけず。其老人襦袢一つ着て、孫を負てありしを指さして、此ことをしる人かたりぬ。又一人は湖中長命寺の浜にて、旅舎のあるじ、巡礼の一ト連レが路費の金数十片をひとつにしてもてる男、袋に入ながら遺亡せるを見つけ、観音寺へ至る道をかうがへ、二三里斗追かけてかへしければ、其旅人は越前敦賀の人にて、此恩に感じ、故郷にかへりて後、交易のことを紹介して、湖中の人に貨殖せしめ、今、孫の代に及びてもかはらず敦賀へ往来し、その家乏しからずと、長命寺の僧かたられき。貧人にしてはことに感ずるに堪たり。又三熊生かたらく、其祖父、京師千本通にて、金百片を拾ひ、そのわたりの茶店にやどりしてたづね来る人を待つ。あくる夕つかたに至り、おとせる人にあひてかへしければ、其金をわかちて与んといふをうけず。しひてとかくいひしかば、其茶店にやどりしほどのあたひを彼主より出させしと也。又くだくだしけれどついでにおもひ出せしことをしるさん。伊藤東涯先生、二条街にて薬の袋のおちたるを、つれし書生に拾はしむ。内を見れば方金数枚あり。先生眉をしはめて、よしなきものを拾ひしことよ、しるせる名もなければ、かへすべきよしなし、とわびながら取てかへられしが、そのまゝ神だなに置て其年の暮に伊勢の御師の来れるに附せられしと、其拾ひし書生の話せし。これはかへすべき主なければ、宗庿へ納るこゝろなるべし。よきはからひにこそ。
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