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人物名 |
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本文 |
来山は小西氏、十万堂といふ。俳諧師にて、浪華は南、今宮村に幽栖す。為リ人曠達不拘、ひとへに酒を好む。ある夜、酔いてあやしきさま にて道を行けるを、邏卒みとがめて捉へ獄にこめけれども、自ヲ名所をいはず。二三日を経て帰らざれば、門人等こゝかしこたづねもとめて、官も訴えしによ り、故なく出されたり。さて人々、いかに苦しかりけん、とどぶらへば、いな自炊の煩らひなくてのどかなりし、といへり。又あるとしの大つごもりに、門人よ りあすの雑煮の具を調じて贈りたれば、此比は酒をのみ呑みて食に乏し。是よきものなりとて、やがて煮て喰て、 我春は宵にしまふてのけにけり。 と口号たり。妻もなかりし旨は、女人形の記といふ文章にてしらる。其中、湯を呑ぬは心うけれど、さかしげにもの喰ぬはよし といひ、また舅はいづこの土工ぞや、あらうつゝなのいもせ物語や、と筆をとゞめて、折ことも高ねのはなやみた斗。 といへるもをかし。すべて文章は上手にて、数篇書きあつめたるを、昔ある人より得たるが、ほどなく貸うしなひて惜くおぼゆ。発句どもは人口に膾炙するが多 き中、箏の絵賛を、禿筆してかけるを見しと人のかたれるに、その物を育んとて其物を損ふ 、と詞書して、竹の子を竹にせんとて竹の垣。といへるなど、行状にくらべておもへば、老荘者にして、俳諧に息する人にはあらざりけらし。さればこそ、其辞 世も、来山はうまれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし。 といへりとなん。 |