加島矩直、通名荘右衛門、薙髪して宗叔といへり。美濃岐阜の人にて京に家す。学を好めり。豪富なりしが、後は甚貧し。されども憂とせず。酒を好みて狂態、人の笑資となるもの多し。事に感じては、頻に涕泣し、激論に及びては席をうち、高声四隣をおどろかす。ある朋友の所にて如ク此ノなりしかば、去て後、主人独言して、あゝきちがひ哉、といひしを侍婢聞て、されども多言なる斗にて、騒ぎはしり給はでよし、といひしはまことの狂人とおもひし也。書を講ずる時も、吾意に愜ふ説あれば、朱子大明神、徂徠大菩薩などいふ。意にいらねば、誰めが此の悪説など罵る。ある時、人の送れる蝋燭ありしに、購説夜に及びしかば、手にまかせて焼尽し、狭き室昼のごとくなりしことも有し。予が家旧交あり。おなじく三条高倉街に住しかば、来りて酒飲れしついで戯て、乃公のもたまへる印籠もらいたまへ、吾とゝもに購つる塩見が蒔絵のものよし、と勧む。予まだ六七歳斗にて、頻にこひしかば、父叱りしほどに泣出したり。宗叔、よしよし、乃公のあたへ給わずば吾参らせん、と約して、別の印籠をあざむかず、その明の朝とく持ちきたりて与へられし。是はまだ貧に至らぬ先にて、其余の態も唯かくのごとくなりしとぞ。此人にしてことに称すべきは、家母に孝ありて、其生涯は貧を苦ませじとせられし。家母もとより富の中に育し人なれば、茶、香、風流の事を翫びて終るに、一言制止せざりしはかたきことゝいふべし。又其文学の師、岡白駒、物をいひ出ては他人諌に従はず、甚偏屈なりしに、宗叔一言を出せば必折たり。故に家人もてあましたる時は、必よびたりと、同門の那波魯堂話せられき。著書、論語の解、写本にてあり。古註尚書、礼記、京にて印行の本は此翁の句読なり。
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