森金吾某は、阿波国小鳴戸の里ノ人なり。弱冠より隠遁の志ふかゝりしかども、京師の官家に仕官せること年あり。終に四十近き比致仕し、故郷に帰り、只膝を容る斗の庵を結び、糂粏瓶をもたくはへず、蕎麦の粉をもて朝夕の飢を凌ぐ。米を炊がむつかしければと也。たまたま徳嶋の城下に至れば、知しらぬ人とともにゐやまひもてなして、このめる酒をすゝむ。老ても健なる人にて、七十にあまる年金峯山に詣しかば、かゝる齢の人の登山むかしより例なしとて、山坊の記録にもとゞめしとなん。生涯心ゆく所に遊び、身の貧をしらず、八十歳にして、安永九年子歳に終る。其病中の吟、
きのふにはかはるとなしに身にぞしむ荻に音なふ秋の夕風
さしたる節はなけれど、折からあはれにきこゆ。
|