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人物名 |
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本文 |
仏行坊僧都敬己は、もと日枝ノ山無動寺善住院の一代なれども、院務をいとひ、まだ中年なりしころ、院を辞して坂本に隠居し、律儀をたも ち、ひたすら念仏の一行に帰す。しかはあれどまた風月の情やまず。俳譜をたしみ、佃房と交深し。その句、聞伝しが多かる中に、 俵物に松卵もあり冬籠。 因果応報の心をとて、おどしたるむくひにくづるかゞし哉。 蚊ひとつに施しかぬるわが身哉。 是は浄土に志を決したる身にも、流石に我執の離れがたきをみづからいましめたる意とぞ。俳諧には都不覚と名をしるさる。また草花にすきて、朝がほ、ある は、なでしこ、さゆりのたぐひすら、同じ花ながら様かはりたるもの数十百種に及べれば、此境界にしては奇僻なり、と人はいひけるとかや。また奇なる話は、 或としの弥生に、山僧多く伴ひて師の庵をとふに、さくら盛なるを皆めでければ、此花のうつろはぬうち再び来給へと約せらる。さりければ他日又さそひあひて 行たるに、ひねもす唯茶を出さるゝ斗にて、何のもてなしもなし。長き日も暮かゝりければ、けふは花見とて招き給ふからに、たゞにはあらじとおもひしに、た がひたることなめりといひしかば、師かほをしはめて、さてもにがにがしき山法師かな。わが若かれし時までは、さはなかりしぞよ。かかる花を見ながら尚ここ ろの飽たらで、飲食を求るやうやはある。かく足ことをしらぬこゝろにては、山王や大師の冥加もよもあらじ、、といましめられしかば、各花の興もさめて、す ごすご帰りしとなん。佃房がとひし時も似たることにて、雅話数刻に及びしかば、門前にうる所の蕎麦をとり来てこゝにてたうべんや、煩らはしとおぼさばかし こへいきてんや、とたづねしに、しばらく首を傾けて思惟し、門前へ行て参れとありし。世情に疎きことすべて此類ひなり。宝暦六年丙子の歳、四月十七日、今 は限りにみえしかば、とし比つかへたる下部の僧、師の画像をもち来て、枕辺により、今まで師の御賛を乞んと思ひしかども、呵たまはんを恐れていひ出ざり き。今は御限と見ゆれば、一言つけて賜むや、とこふ。師よしなきことをするもの哉、といひながら筆をとりて、ゆかうゆかうとおもへば何も手につかずゆこやれ西の花のうてなへ とかきて、西にむかひ合掌して逝ぜられしとぞ。 |