栗子は甲斐の国山梨郡の農夫某が妻なり。舅姑に孝ありてその名高し。然に、舅姑も夫も亡ける後、山抜といふことにあひ、山ぬけというふは、凡山国にある大変にて、堺のいづる類也。大水樋流れ、村ざとほろび人死す。
水に溺れ死す。その時屍を掘出してみれば、十二なる養子を背に負、八つになりける実の子の手を引て有けり。幼きかたをこそ背には負べきに、長じたるを負るは、此時に臨て遁んとかまふるにも、養子をおもくするの義をおもふなるべし。女といひ辺鄙の産なり、何のまなぶ所もあるまじきに、天性の美かくのごときは、世に有がたきためしなるべし。さるにおもはざるに災にかゝり、死をよくせざるは悲し。しかはあれど、此災によりて其徳ますますあらはるといふべきか。国人これがために碑を建て事実を記せりとなん。
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