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人物名

人物名 手嶋堵庵 
人物名読み てしまとあん 
場所 京都鳥辺山延年寺 
生年  
没年  

本文

堵庵は手嶋氏、富小路三条街の人、家名近江屋源右衛門、隠居して嘉左衛門と改む。為リ人ト篤実謹慎、少より石田勘平に従ひ学ぶ。石田氏 は心法を主として、市井の人のために専修身を説キ、斉家論、都鄙問答などいへるものを著し、一家の学を唱ふ。此の人歿して後、高弟全門といふ老人六 角街の人、近江屋仁兵衛隠居也。 続て講説すといへども、其の徒尚多からず。堵庵もとよりまづしからざれば、金銭品物によらず、堅く束修を受ず。故に貧賎吝惜の徒も喜びて学に趣く。社中の 請に応じて、こゝかしこに俗講をつとむること年ありて、終に其学海内にひろごり、教の及ぶ験もまたまゝ見ゆ。近年米価登揚の間、貧人に施を行ふもの、多く 此門下に出ることは世の知る所也。尚又、一二をいはゞ、或婢郷里に祖母壱人有、貧にして親族の養をうく。しるもの勧めて、其身得る所の金をわかちて養を助 けよといふに、婢不ズ肯。吾身親族の手をからず、自衣食するは猶祖母の幸也、其うへに何の奉養をかいはんと。然るにいつの比よりか、その仕ふる所の家婦に 従ひて、堵庵の講を聞しより、先の言を悔て、しばしば祖母に物を贈り孝の心をはこびしとなり。又或女鼠のために衣裳を噛れて、はらたち悲しみしが、かねて 彼心法を聞しはこゝぞとおもひて、一夜静坐して省ることあり。自恰悦て口ずさむ。今までは鼠が喰とおもひしに私が喰たとおもやをかし い。といへり。凡教示の旨、自を抑て他を恵み、庶人の分を守て、希望を断べし、倹をつとめて、吝なることなかれとなり。又、常に本心を観よとすゝむ。或は 物を扣て、是何ぞ、手を拍て、声いづれにありやと、時々研究せしめ、旨にかなへば許可す。其著述を看るに、播磨、盤桂禅師、不生ノ仏心と説れしによるよし 也。故に或は禅儒の誚ありといへども、是また王陽明の所説、良智良能に基せる歟。其師、石田氏、母の病るに薬を進る時、省することありとかける趣也。また 此流の人、文字をいはず、門生目一丁字を知らずして、常に俗講して大に行るゝもあり。これによりて、文学の人は甚いやしむれども、もとより学者を教とはい はず、市井の人の人道をしらず、自性を識ざるを導となれば、世に有益の事とすべし。腹中万巻の書を蔵し、文章天下を驚すも、たゞ利名の媒とするにまさらざ らんや。世間此流を汲ものは又聖をもて仰ぐ。一とせ此翁大和へ講におもむく旅途の間、竹籃を挙出て、しひて乗しめ、道を聞伝ふる恩義のためにすといふ人あ るに至る。去年歿せる時も、遠近四方葬に趣くもの、千をもて算ふ。其居より黒谷に及て、二十有余丁斗、道路の間、往来是がために狭く、先だちて至り、後ク れていそぎ、終日人立こみしも、近世僧俗の間聞こと稀なる所也。翁、晩年山水の興をおもひて、郊外に遁レんとおもひしかども、子弟定省のために労して、家 業を怠んやの懼にて、本居ちかきに住ながら、庭のさまを田野に摸して、はつかに稲などを植しめ、おもひを遣けるとぞ。野服葛巾門人に助られて、花紅葉に遊 行せしさまなども、風流なき人にはあらざりき。著書仮名書のものあまた印行せり。児童に示す前訓など、今日の小学なるべし。