高橋若狭守、紀宗直老人、号は図南、御厨子所預にして、庖丁は其家なれども、ことに勝たりとかや。或時、諸友六人会して、庖丁を望むに、鯉一つを何の品もなく六つに切られしに、能みれば、六つの割、一分もたがはざりしに、皆、其妙を感じぬ。尤有職の学に名あり。いつのころにや、紅梅の作枝に雉子をつけて奉りしとき、霊元法皇賜せる御製、
いかでかくつくり出けむ咲花のときしもわかぬ梅の一枝
又、中御門院の御時、勅によりて、同じく梅に鳥をつけて奉るとて、よみて添たりし。
時しあれば伝へしわざもあらはれてもてはやさるゝ梅の一えだ
宝暦十三年御即位の日、白馬の瑞祥の勘文を奉る賞に、従四位下を授らる。又某年、小御所にして白鳥庖丁の時、禄を賜りしに、笏なかりしかば、懐のたゝう紙を是にかへて拝す。手に取ものなくて拝舞するは、其義にあらずといへりしを、しる人は感じき。又紫、清両殿の図を古にかうがへて正しけるを、勅によりて奉りしも誉レ也。猶大内裏の図も考置るよし語られしが、有職の故事を集め、自撰れし宝石類書百余巻に及ぶを、家に蔵す。其奥に書れしうた、
拾ひとり捨るもをしと色々の石を宝とおもふおろかさ
又一笑話有。上京の鍛冶に狐つきて、今は此業をせじ、出身する、などいひて狂けるに、老人たいめして、狐にてあらば庖丁をうちてあたへよ。是はおほやけの御物を調ずる料也。是斗はうつべし、といはれしかば、雌雄二刀をうちしに、雌のかたよくきるれば、小狐と名づくとなん。八十有余にて去年終られぬ。
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