祐庵は北村氏、淡海堅田の浦の豪農にて、茶事に熟し、物の味をしることは、いにしへの苻朗、易牙にも恥ず。伝る所の話多し。つねに奴僕をして湖中の水を汲しめて、茶の水に用るに、某の所と令す。其指所にあらざるを汲来れば、必又、其所を知ること神のごとく、終に欺くことを得ず。魚鳥の得る所を知もまたかくのごとし。しかのみならず、ある人豆腐の串に貫たるを俗に田楽といふ。
食しむるに、此の串の竹は遠く来れるもの也といふ。主も知らず、厨下にとひしに、浪花より物を荷ヒ来る竹をもて削たりといしひしなどは、奇といふも余あり。又或ル家にて、砕菜の羹を出せしに、此菜は男のたゝきし也、といひしかば、厨下にとふに、然り。是はいかにして知給ふや、と問しに、男のたゝきしはあらじ、女の力能是にかなへり、必女にせさせ給へ、といひしとぞ。かゝれば人に物を饗すること必つゝしめり。所がら湖中の鯉鮒の類を調ずるに、魚板数枚を用ゆ。はじめ鱗をはなつより、肉を切にいたるまで、次を追て板を転ず。かくせざれば、うつり香ありてなまぐさしといへり。一日、京師にて、茶事の友にあひたるに、名にしおふ、源五郎鮒食せ給へといふに、さらばいくかにと契りて帰る。其日友人の至る時、其門、鮒数十をとり入るを見るに、食につきて出したる所、はつかにして腹に満ず。友人あやしみて、さしもあまた取入給ふと見しに、是はいかに、といへば、主笑ひて、望たまふ所の源五郎鮒の真なるものは、数十の内にて一二を得がたし、といへりとなん。又庭園の作意に長ず。其つくれる所の庭、堅田、大津などに残れるを見て、その道知る人は及ざるを嘆ずとかや。此人の所為、畢竟茶博士の奢侈なるものにして、子弟のために語るべからずといへども、味をしるの異能におきては、他に比すべきなし。奇といはざらんや。享保の中比まで有し人にや。予相識の老人、茶事をもて交リたる人ありき。
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