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人物名 |
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本文 |
長孝は望月氏、名は兼友、京師の人にて広沢の閑居をさゝのや小々の意なるべし。 といふ。歌学は貞徳翁につたへしが、其よみうたは藍よりも青しと見ゆ。 けふもまた垣ねのうばらつたひきて霜踏鳥の跡は有けり とよめるより、其やどりをまた、霜ふむ鳥の庵と人はよびけり。ある時、人のもとへ庭の栗をおくりて、つらかりしねざめの音もわすられてあくれば拾ふ庭のさゝ栗 など幽居のさまおもひやらる。されど其代此道に名高くおはする公卿も、花によせ月にかこちては、とぶらひきませる趣、家の集にみゆ。其中、八月十五夜にや ごとなき御かたがたともに雨をうらみて、よしやふけ秋の草木の嵐山月のかつらも雲にしほるゝ 此うたによりて、其集を桂雲と後に名付たり。諸卿ふかく感じ給へるゆゑとぞ。其巻頭のうた、年内立春、としはまだつれなく残る有明の月よりかすむ春は来にけり 同じころ、或宗匠のよみ給へるに、年はまだ残る日数をあさ霞立へだてゝや春の来つらん 、といへるは、いとよく似たるものゝ、広沢の霞や立まさるらんといへる人も侍りしか。延宝九年辛酉三月十五日、即天和元年なり、六十三歳にして終る。此門 人に、風観窓長雅、洛下に名有、その次に有賀以敬斎長伯、家伝を嗣、此流レを汲む人多く、地下の一流と称す。以敬斎は和歌よみかたの書をあまた著し、初学 を導く、印行拾弐部に及べり。 |