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人物名

人物名矢部正子 
人物名読みやべまさこ 
場所京都 
生年 
没年 

本文

正子矢部氏、はじめの名は久子、美濃国芝原の郷、北方の人。年十六にして、同じ国結の里大平氏に結びて、ひとりの女をまうく。十九といふ歳、其夫の忍び妻のゆゑをもて忘られて、かの女をつれて母のおやのもとに帰れり。後ふたゝび嫁せず。家を移して、母、兄ともに京に住り。歌よみ手かくことを蘆庵小沢氏にまなび、其外、茶、香の風流をはじめ、女礼、長刀の態までまなぶこと多かりき。此間かりそめに故郷にくだりたる時、もとの夫、後の妻もあり、子もいできたるに、野中の清水わすれがたくやありけん、仲だちしてとかくいひなびけんとし、文をさへおくりしを、さながらかへすとて、一首のうたを添ふ。

秋にあひて枯にしものを今さらに何おどろかす荻の上風

女のためにおのれ宮仕への志ありしかば、二十六といふ歳に、何がしの国の守の姫君のかしづきに参りしが、名を呉とたまひ、江戸に仕ふ。才あるからに、たぐひなく時めかし給ひしに過、女伴の妬にあひて退く。さて、江戸にあること一とせあまり、あひしる人の勧むるにより、歌の道を教へけるが、まなぶ人百に及ぶ。さるにはからず火の災にあひて、こゝかしこにげまどひ、からうじて身ひとつまたくして京へ帰らんとするに、母にあづけ置たるむすめ先に死し、つぎて母もうせにし時、帰りつきて、悲しみに堪ず、こしかたの身の幸なきことをも、とりあつめてやらんかたなく、尼になりて恵静と名づく。時に年二十八也。其時したしき人々とゞめしかば、口ずさびしうた、

浅からずいさむることにそむかめや大かたによをうしと思はゞ

やつがりもおとゞひながらつねに交りし人なるに、この折はあふみに侍りしかば、いひやりける、

かわく間もなみだに袖のくちはて衣かへぬときくはまことか

おもふにもたがひのみゆく世のうさや真の道のしるべなりけん

返し、

墨染に衣の色はかへしかどかはらぬものは袖のうへの露

おもふことげにたがはずば世の中のあだなる道にまよひはてまし

おもひのつもりにや、あくる年の秋長月病て終る。才ある女の中々に幸なきは、妾薄命の詩題あるが如く、やまともろこしにためし多かれど、まさにしる人のうへにかゝるがいと哀にてしるす。骸は鳥部山に葬る。其よめるうたは、よしとおもへるも多かりしを、例のあまたはおぼえず。

雁をよめる、

なく雁の声もはるかにへだゝりて翅消行秋霧の空

衣によするこひ、

おもふ其人にはきせじ月草の花摺衣うつろふがうき

題しらず、

水底に沈める月も入はてば何をうき身のたぐひにはせん

瀬によせておもひをのぶ、

世の中はあすかの川ときゝしかど身のうき瀬こそかはらざりけれ

歌の集は其元敬寿正直がもとに蔵せりしが、正直もまた此ころ疫によりてとみに身まかる。京にありわびて故郷へかへらんとせしが間なりしも哀也。此人さして長ぜることはなし、唯記憶の強きことはさらにたぐひなかりき。涌蓮法師生存の日は、吾うた此人に語りおけば、筆にしるすよりもさだかに、時ありてとひきくによしといへりし。是につきて奇特なることは、人の詩歌をきゝて、たまたま文字一つ、てには一つなど、思ひたがへしまゝに人に語ることありて、聞直しつれば、やがて其かたりし人のもとへいきて其よしを告し。かりそめのことなれど、かたきこと也。

図版