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人物名

人物名 惟然坊 
人物名読み いぜんぼう 
場所 京都  南近江  伊賀  大阪 
生年  
没年  

本文

惟然坊は美濃国関の人にしてもと富家なりしが、後甚貧しくなれり。俳諧好て芭蕉の門人なり。風狂して所定めずありく。発句もまた狂せ り。されば同門の人彦根の許六、其句を集めて天狗集と名づく。ある時はせをと供に旅寐したるに、木の引切たる枕の頭痛くやありけん、自の帯を解てこれを巻 て寐たれば、翁みて、惟然は頭の奢に家を亡へりやと笑れしとなり。ある時、故郷の篠田氏なる人のもとにて数日滞留し、浴に入たるが、いづこへか行んとおも ひ出けん、其浴所に女の小袖のありけるを、あやまりて取かへ著つゝ、忽うせたり。さもしらで、其家くまぐままでをたづねて、大きにさわぎしが、四五里外の 里にあそびてありしとなん。又師の発句どもをつゞりあはせて和讃に作りて常に諷ひありく。これを風蘿念仏といふ。風蘿ははせをの号なり。

まづたのむたのむ、椎の木もあり夏木立、音はあられか檜木笠、南無あみだ南無あみだ

、此例にて数首あり。此人のむすめは尾張名護屋の豪家に嫁したるを、かく風狂しありく後は音信もせず。あるとき名古屋の町にて行あひたり。女は侍女下部な ど引つれてありしが、父を見つけて、いかにいづこにかおはしましけん、なつかしさよとて、人目も恥ず、こつがい乞丐ともいふべき姿なる袖に取つきて歎きし かば、おのれもうちなみだぐみて、

両袖に唯何となく時雨哉。

といひ捨てはしり過ぬとなん。此人のかけるもの、或人のもてるをみしに、手いとよくて、詞書は、

有ルモ千斤ノ金、不如カ林下ノ貧ニ。(千斤ノ金有ルモ、林下ノ貧ニシカズ。)

と書て、

ひだるさに馴てよく寐る霜夜哉。

又関の人のもてるには詞書、

世の中はしかじと思ふべし、金銀をたくはへて人を恵めることもあらず、己をもくるしましめんより、貧しうして心にかゝることなく、気を 養ふにはしかじ、学文して身に行ざらんより、しらずして愚なるにはしかじ。 人はしらじ実此道のぬくめ鳥。

これらにて其情その生涯のありさまをしるべし。
図版