表太は貞享、元禄の間の人、京師新町四条の北、表具師太兵衛なり。人唯表太とのみいひならはせるとか。老て後、男子三人、皆家をことにかまへたるがもとに一夜づゝめぐりてやどる。明ればいでゝ野山に交りつゝ、春秋の花もみぢはさら也、月の夕も雪のあしたも、一日もおこたらず。されば人そこの花はいつころととひ、かしこのこずゑはいつ染んなどとふは、其ころをさすに必たがはず。いつとなく黒き頭巾かうぶり、身のたけにあまる杖のうちにしこみてさかなをいれ、ひさごのさましたる白がねの器に酒をたゝへ、ながながとさげて、腰はふたへにて歩む。或春、仁和寺のわたりにて、俄なるむらさめに、人皆まどひてかけはしる中に、この翁のみのどかなるおもゝちにて、ふるははるさめかとうたひしを、今もわすれずと、四十年前語る人も侍りし。花のもとにて唯ひとり酒のみ、眼鏡をかけてゆきゝの人を見、又何かゑがけるものをつねにたづさへて、木のえだにかけ、ともとす。その此、京師畸人の第一名なりしとかや。また書画の鑒定には長じたりとなん。
世は澄りわれひとりこそ濁り酒酔ばねるにてさうらうの水、
と戯たりしもをかし。
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