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人物名

人物名戸田旭山 
人物名読みとだきょくざん 
場所備前岡山藩  大阪浄安寺  大阪法岩寺 
生年 
没年 

本文

旭山戸田氏、自ラ号ス无悶子ト。通名斎宮、東備の人、浪華にきて医を業とす。門に草医戸田斎宮と標せるもめづらし。あるひは唐服に似たるものを著て、劔を負て歩しこともありしと也。本草に委しく、医生のみならず、好事の士門人となれるもの多し。香川太仲秀庵が薬選を難じて、非薬選を著し印行す。爾れどもまた秀庵の才を愛して、その子はこれが門生とせり。好すれども其あしきをしり、にくめども其よきをしるといふべし。医療もとよりよくすといへども、病客拾人に限て、此数闕ざれば、また他人を療することなし。故に貧なり。あるとき摂津国高槻近邑の豪農、物産の門人にてつねに出入する人、其母の病の胗察を乞ふ。請に応じて至りしが、不起の症なれば辞して帰らんとする時、近隣又親族の病人これかれの胗察をこふ。四五人は胗したるが、遠く迎へたる人なれば、此折を幸に尚医治をこふもの多し。こゝにして戸田氏怒を発し、主人に対しのゝしりていふ、子は不孝者也、不起の母を題して、えもしれぬ人々の医治をせしめんとするかと。元来癎症にてよく怒る人なれば、大きに顔色を損じたれば、やうやうになだめて謝してかへせり。其後横堀辺にてやらん、磁器を買んとて、とある見せへたちよりしに、内より一老婆出て、戸田氏をみてさめざめと泣ク。おどろきて何事ぞといへば、婆云、公はしり給はぬことなれば不思議におぼしめさん、吾さきに愛せる孫ありて、病おもかりしかば、公を迎へしに、拾人を限り給ふ病人闕なしとておはしまさゞりしが、孫は終に身まかりぬ。時節にてもあるべけれども、もし公の手を経たらば生もし侍らんにとおもへば、公の御かほを見るにつけてうらめし、とて涙せきあへず。こゝにして戸田氏甚感概して曰、吾あやまてりあやまてり。もとより数人に心を配りがたしといへども、拾人と数を限れるは吾あやまり也。然れども吾老ぬ、今さら此限をこえば、老て利を貪る心生ずといはれんも口をし。吾は是にてはてむ、といひしが、後いくほどなく歿せしとなん。是は物産の門生、したしく見聞人のものがたりなり。