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人物名 |
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本文 |
茂睡は江戸御家士にて、隠遁せる人也。隠家とも、梨本とも、もとめぬ橋とも、名をおへるは、そのよめるうたによれり。されど其隠家のも とのうたは書あやまてるにや、いとも心得ぬ事のあれば、こゝにはもらしつ。かくれ家百首とて、其相しれる人々よめる歌をあつめたるものあり。其はじめに出 せるは、 すむ庵を世の人のかくれ家といふをきゝて、 人しれぬ身にまかすればおのづからもとむともなき隠家にして
梨本といふは、もとより其庵の前に山梨の木あれば、 のがれかね世にふり果し老の身は隠住べき山梨の本
もとめぬはしといへるよしは、源義豊といへる人のもとより、 隠家は山ももとめず世を渡るためにやかけし前の棚橋
とよみておこせたる返事に、 わが庵は山ももとめずたなはしのみじかくみつる世を渡るほど といへるによれりとなん。此人、梨本集といふものを著して、制詞の類を挙て、琴柱に膠すべからざるを論ず。凡歌道に古学を称るは、此人近世の魁にして、秦 ノ陳渉に比すべし。さればこゝに其説を記す。梨本集は一旦、江戸にして梓にのぼりしかども、その本世に流布せること稀に、しる人尠ければなり。其序にいは く、 古今集の比より万葉集によみたる詞の中にても、いづくの恋ぞつかみかゝれる、こゝだく待ど君がきまさぬ、などやうの詞を不用ヰ。 其比さのみ人のつかはぬ、本名、たけそかの類、又こはごはしくて聞ぐるしき詞をよまざりし故、是より詞の善悪は出来たる事也。本来の一物に善悪、邪正はな けれども、陰陽と分れ、清濁、軽重、天地となりては、善悪、勝劣ある道理也。然れ共ひとの心まちまちなり、好むことを是といひ、不ル好マことを非といふよ りして、誠の善悪は脇になりて、私の好悪の沙汰になりしより、僻言多く出来リて、それより末々には、先達の僻意を道の格式として、ますます僻言を取立しよ り、我意地儘に利口をたて、よろしからざる例を引、あるまじき遠慮をいひて、広き御恵み、賤の男、賤の女までも、此道におもむかんに何の障もなく広々と通 リ、正木のかづら永く伝り、近くは人の心を慰め、憂を忘れ、遠くは家をとゝのへ、国を治る中だちと思召て、撰集をも仰付られたることなるに、何れのころよ りか歌の詞に制といふことを書出し、五てんの詞、主ある詞、よむまじき詞、遠慮すべき詞、俊成の好みよむべからずと宣ひしことば、定家の不庶幾と宣ひし 詞、にくしといふ詞、いとしからずといふ詞、といひて、詞に多く関をすゑて、人の趣がたきやうに道をせまくすることは、以外の邪道、歌の零廃すべき端かと おもへども、歌の道不案内なるに、能キ師もなければおぼつかなさに、此冊を思ひ立て不審を書キ記すもの也。中略 惣じてのこと、六条家の説をば二条家よりいひ破て不用キ、二条家をば冷泉家よりそしり、其後には為世卿の門弟、為兼卿の門弟、為相卿の門弟、其家々をたて んとて、他を誚り、我意地のまゝに利口をたつるより、色々の僻言出来たり。又は其師匠の物語に、たとへば、ほのぼのといふ五文字は人丸の名歌の五文字也、 然れば心得してよみ候へ、などといはれたるを、其弟子覚書して置、又は物語したるを、其わけをばしらず、読べからざる五文字と制せられしといひ伝て、今は よまぬことになり極れり。筒とまりのことを法度也といふは、たとへば其家の仕置に、酒を呑べからず、と法度にたて、物見すべからず、とあるに同じ。此法度 なければ酒を過し、遊興に斗かゝりて、作法のあしくなるゆゑ也。然るに、正月、又は五節句にも、祝言、珍客にも、酒は家の法度也とて出さず、正月の万歳、 伊勢の代かぐらの太鼓打を見るなと制するごとくに、つゝどめをもいふは、僻言とおもへども是非なし。下略 序文猶かゝる義論多く、本文には近古制せられし詞を題して例を引キ、はた、制の詞とたてたる一冊、その外、詞の注の証歌、主ある詞などいふも、みな新古今 のうたのことのみを書て、他の事を用ざるは、新古今集斗リ、知たる人の仕出したる事のやうにおぼゆなどいへり。歌書におきては、古より近世に及て、甚博識 と見ゆ。書ざまは通じやすからんことをおもふゆゑにや、俗言にて又くだくだしき所もあれど、其見所は抜群のものなれば志ある人はもとめて見るべし。其外、 著書の名目、おはづかし、茂安がひとり言、僻言しらべ、庄九良物語、紫の一もと、若むらさきなど、梨本集の奥に出たるは、世に伝りてありやしらず。梨本集 を著ス時元禄十一年戊寅五月、齢七旬にあまりて、赤貧のよしをしるすはいかゞ有けん。無学無智にして道理に通じ、歌学をもつとめざれば歌をよむことなしと いへるは、卑下にして自負也。奥書には露寒軒とも見えたり。 |