[ 日文研トップ ] [ 日文研データベースの案内 ] [ データベースメニュー ]


[ 人名順 | 登場順 ]

人物名

人物名僧 丈草 
人物名読みじょうそう 
場所京都 
生年 
没年 

本文

丈草、俗姓は内藤、世々尾張犬山の臣也。継母に仕へて孝あり。弟はその生る所なれば、家を譲りて心を慰んと謀り、右の指を疵付て、刀の柄握がたし、とて仕を辞し、剃髪し、禅を宗とす。其時の口号、 多年負フ屋ヲ一蝸牛。化シテ做ナツテ蛞蝓ト得自由ヲ。 火宅最モ惶ル涎沫尽キンコトヲ。偶尋ネテ法雨ヲ入ル林丘ニ。 (多年屋ヲ負フ一蝸牛、化シテ蛞蝓ト做ツテ自由ヲ得。 火宅最モ惶ル涎沫尽キンコトヲ、偶法雨ヲ尋ネテ林丘ニ入ル。)

凉かぜにきゆるを雲のやどりかな

湖南の風景を愛しけるにや、粟津の竜が丘に庵を結びて、仏幻庵と号ク、今土人、岡の堂といふものなり。もと詩文を好しが、又芭蕉の翁に従ひて俳諧をよくす。されば此庵も翁を開祖とす。其滅後三年籠りて、一石一字の法華を書写し、経墳に筑けり。寐転艸といふ書を著して、道俗をいましむるものは、名にも似ず、寐ながらはよみがたき殊勝のもの也。此師、唯誹諧をもて名をしられけるに、かへりて其清操はかくれたるべしと惜む人もありき。はいかいはそのむねとする所にあらざればこそ、ばせをも此道にのみ遊ぶ人ならば、其至るところ知べからずと評せられき。其門人の発心せるを警策して、

蚊屋を出て又障子あり夏の月

など、其意凡ならざるを見つべし。元禄十七年二月廿四日、其庵に寂す。

図版