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人物名

人物名雪山(北村雪山、北島雪山) 
人物名読みせつざん(きたむらせつざん、きたじませつざん) 
場所肥後熊本藩  長崎  江戸 
生年 
没年 

本文

雪山は北村三立といひしかども、世に号をもてしらる。肥後の人にして諸国に遊ぶ。文学ありしかども、独リ書名高し。書法は漢僧雪機に学たり。初赤貧にして、屋破れ雨漏ルに、沐浴盤を高く釣、其下に座して書を学べり。あるとき、肥前長崎の橋下に一夜寐て、あくるあした、あたりの酒家に入て酒をのむ。あるじ其価を乞に、なしといふ。其家をとふにも亦なしといへば、さらば何する人ぞととへば、もの書もの也とこたふるに、主もすねたるものにて、いで此ごろの閙しきに、酒売ル日記書付給れ。今の酒の代に充んといひしかば、もとよりさして志ス所もなければ、日を重ねて止り、日毎に書つ。さるに漢法の草書なれば、いかにもよめざりしを、さすがに能書也とはしりけん、其人柄も無我なるを見て深く信じ、つひに長崎に住しめけり。其後、隣国の大守、額字をもろこしへ書にやり給ふとて、其草案をかゝしめらるゝに、道人大なる筆を持タざれば、軒にかけし簾の萱をとりて、打ひしぎて書り。さて彼国に渡したるに、彼方にもかばかりの手筆なしとてかへしければ、直に其大守の額となりぬ。さつまの国に到りし時、金五片賜らんとこひつゝ、これをもて蜆つみたる舟五六艘を買て、ことごとく海に離ち、吾はけふ仁を行へりと悦びしとぞ。蜆を放つは風狂の一事、と人はいふべけれど、此翁、仏乗を学びておもふ所ある歟。蜀の濠聚寺の僧、一夕門人にいへらく、門外に数万人、鳥帽を著て貧道に向ひて命を救んことを乞。はやく出て見よと。門人急に門を開て見るに、十余人蠡を担て市にゆくをみる。尽く是を買て放つと、蜀記に見えたるよし。また微細なるものは命多し、殺べからずと、竜舒居士も説るよし、六如僧都の放生功徳集に出し給へるにかなへり。私におもふに、官なきものは広く仁を行ふことはかなふべからねば、大小をいはず、物の憂を救ふは、身に応じたる仁なるべし。 此人生涯印章を持ず、書たるものに印を施したるなしとなん。広沢はこれが門人也。

図版