美濃国某山中知名失
に、四十六年幽居不出の僧あり、霊巌和尚といふ。浄土宗にて京師知恩院丈室に侍りしが、此山中は其郷里に遠からぬ所なれば、帰りて後、不出の願をたてゝ引こもれり。はじめは何とやらん世間のこひしきやうにおぼえて、或時は堪かね、松の枝にのぼりて望みるに、ことなることもなし。されども猶心うごきて、かゝること折々なりしに、一とせ斗住馴るほどに其念永く絶ぬとかたられしとなん。常に八十華厳を見る。終てはまたはじめ、間断なく馴ぬるゆゑにや、二日に一過し終る。日に四十巻也。夜も座ながらいぬるともなくて、微音に念仏の声す。檗宗の僧雪丘といへるが、いかなるしるべか有けん、其庵に至り、此和尚の肉姪の僧ともに随侍せること一年、其間、言を交る日少し。二時の食をとゝのへ進る外に、又あつかふこともなく、来る客もなし。おのれおのれが心にまかせて、誦経、看書、念仏、座禅、障ることなく静に有しが、或日和尚命じて、即日旧里の甥をよび来らしむ。其間二里斗なれども、とみのことゝありしかば、とく来りしに、和尚曰、他の事にあらず、老僧明日は逝すべし、永訣を告んため、且年比資料のために預置る金、比数は某の寺へ祠堂に充べし。それぞれは此両僧に与へよ。一金といふとも、俗家に留むべかず。法財なれば也と。甥大におどろき、今日微恙も見え給はず、いかにかくはの給ふや。されども、もしさもおはさば、妻子もまうでゝ御別を惜み奉らんといふ。和尚首をふりて、人いりたちさうざうしからんは益なし。汝も亦とゞまるべからず、此外またいふべきことなしとて、しひてかへらしむ。さて沐浴し、頭を剃て曰、此まゝに棺に納めよ、死体をとかくあつかふことなかれと。其日つねのごとし。明日に至りても、朝粥、斎飯等を喫し終て、午時斗、端坐口称、眠がごとく化す。齢七十二三斗とぞ。其雪丘は、近江八幡正宗寺といふ檗門の禅林に一夏つとめける僧にて、美濃に随侍の後又来りて、其寺の虎渓和尚へ物語りし趣也。今を去ること凡四十年前となれば、寛延のころなるべし。
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