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人物名 |
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本文 |
永田佐吉は、美濃の国羽栗郡竹が鼻の人にして、親につかふることたぐひなし。又仏を信ず。大かた貧しきを燐み、なべて人に交るにまことあれば、誰となく仏佐吉とは呼ならしけり。いとけなき時、尾張名古や、紙屋某といふ家に僕たりしが、いとまある時は砂にて手習ふことをし、又四書をならひよむ。朋輩のものねたみて、読書にことをよせあしき所にあそぶなど讒しければ、主シもうたがひて竹が鼻にかへしぬ。されどもなほ旧恩をわすれず、道のついであれば必たづねよりて安否をとふ。とし経て後、其家大キにおとろへければ、又よりよりに物を贈りけるとかや。主のいとまをえて後は、綿の中買といふわざをなぜしが、秤といふものをもたず、買ふ時は買ふ人にまかせ、うる時はうる人にまかす。後には佐吉が直なることをしりて、うる人は心しておもくやり、かふ人は心してかろくはかりければ、いくほどなくゆたかに暮しける。父にははやくわかれ、母ひとりを養しが、母、餅をつきてうりたきよしをいふ。佐吉其心にたがはず、もちうることをはじめしが、必ちいさくし給へとすゝむ。母いぶかりて其ゆゑをとふに、こたへて、ちかきあたりにもとより餅うる家あり、大にせば彼がさはりにならんといふ。其意をえてちいさくすといへども、外と同じく買ふありけり。ある冬、年せまりて、近国へかねあつめにゆくことあり。かへるさ日くれて道に迷ひしに、山賊いでゝ此かねを奪んとす。佐吉いふ、我むかしはまどしかりしが今はかばかりのかね与ふるも傷むにたらずと、投出しあたふ。さらば其衣類をも脱てあたへよといふ。これも易きことなり、いかさまわぬしらさだめてさむからむ、なほほしくば我家に来タれ、みなみなに与んと、まづ心よく着たるものを脱て、さて此かはりには、街道に出る道をしへよ、我、けふは道にまよひたりといふに、一人の山だちつくづくと佐吉を見て、我をしへん、いづくへ帰る人ぞととふに、竹が鼻の者なりとこたふ。さは佐吉ぬしにあらずや。しかり、といへば、こはあしき人のもの取たり、我党のものにいひきかせて明日かへすべしといふ。否、ぬしたちにあたへたるうへは、又取べきやうなしと、行道を聞てわかれぬ。其あくる日、いひしごとく取たるものみなもて来て還したり。佐吉いろいろにいへどもさし置て走りさりぬ。又ある時諸国の神社仏閣を拝みめぐりしに、出羽の辺にて疾おこり死せんとしげれば、心中にをがみて、今一度母にまみえしめ給へといのりしかば速に愈けり。本国へ帰りて老母にかくと物語してよろこびしかば、母其やまひ愈しは仏の御加護なれば、仏像を鋳て謝したてまつれ、といふ。こゝに江戸の某といへる鋳工につくらせけるが、やがて成就して船にて登せける道、遠江灘にて風烈しく、船覆らむとせしかば、荷ども海にうちいれけるうちに、此仏像をも沈めける。舟人此よしを告てわびければ、佐吉かへりて大に悦び、遠江灘は昔より人多く溺れし所なり、そこに仏像いらせ給ふことは幸なるかな。ねがひてもなすべき作善也、其費はいとふべきにあらず、急ぎて今一体鋳たてまつらんと、価を舟人に託しければ、また幾ほどなく成就したるは、今も竹が鼻にあり。真像たやすくなすべきにもあらず、大なる御仏なり。又石仏五百体たてむことを誓ひしが、終に七百体に及びしとぞ。およそ母につかふること昼は起居にこゝろをつけ、よるはいね静るさまをみざれば、おのれ枕をとらず、常の所行かぞへつくすべからぬ中に、ある時、母柑子をのぞみしかば、近村に求れどもなし。只同村に此木をもちたる人あれども、生得吝嗇甚しき人なれば、これに乞むもいかゞとはおもひながら、せんかたなくたゞ一つと乞けれども果してあたへず。さるに其時おもひがけず一陣の烈風吹来て、かの柑を多くおとしければ、あるじも今は惜む心なく、拾ひてあたへける。佐吉が心、夫に通じけるならし。又おもふやう、母身まかり給ひて後は、百味の珍膳もかひなし。生前にまゐらするこそと、大人を招請するがごとく饗応せしことふたゝびありけるとぞ。常に善事をなすことおほきが中に、細なることには、道ゆくごとに布の嚢を腰につけ、米穀のおちたるを、手のとゞくほどはひろひ置て、雪中の饑鳥にほどこす。大なることには、処々の土橋、洪水の時に落ることを恐れて、自ラ財をすてゝ石ばしとす。およそ至孝をはじめて其所行を国侯きこし召て、米をおほくたびて感賞し給ひ、なにごとにも望ことあらばまうしいでよとおほせくだされければ、其時よみて奉りける。 ありがたやかゝる浮世に生れきてなに不足なき御代に住哉 閑田子按、作者のこゝろ、世はうきならひなれども、不足なき御めぐみの御代にすめば有がたしといふなるべし。和歌者流の規矩をもて論ずべからず、たゞ、こゝろをとるべし。故に花顚子しるせるまゝをうつせり。 老後、覚翁また実道といふ。寿八十九歳にして寛政元年十月十日に終る。 |