[ 日文研トップ ] [ 日文研データベースの案内 ] [ データベースメニュー ]


[ 人名順 | 登場順 ]

人物名

人物名馬郎孫兵衛 
人物名読み 
場所 
生年 
没年 

本文

木曾山中、里の名を遺失す。 馬夫孫兵衛なる者あり。花顛が知己、何某の阿闍梨、江戸よりのかへさ、此馬夫が馬に乗られたるに、道あしき所に至れば、孫兵衛馬の荷に肩をいれて、親方あぶなし、といひてたすく。度々のことにていとめづらしきしわざなれば、あざり、いかなればかくするぞ、ととひ給ふに、おのれらおや子四人、此馬にたすけられて、露の命をさゝへさふらへば、馬とはおもはず、おやかたとおもひていたはる也、とこたへ、さて、御僧にひとつのねがひあり、此あなた清水のある所にて手あらひ候はんまゝ、十念をさづけ給はれ、と乞ければ、いとすさうのことなりとうけがはるゝに、はたして其所に至りて、あざりを馬よりおろし、おのれ手水をつかひ、馬にも口すゝがせて、其馬のおとがひの下にうづくまり、ともに十念をうくるさま也。かくて大キによろこび、又馬にのせて次の駅にいたる。其賃銭とてわたし給へば、先其銭のはつほとて五文をとりて餅をかひて馬にくはせ、つひにおのが家のまへにいたりける時、馬のいなゝきをきゝて、馬郎の妻むかへに出て、取あへず馬にものくはせぬ。男子も出てあざりをもてなしける。其妻子のふるまひも、孫兵衛にならひて心ありき。此あざりにかぎらず、僧なればいつもあたひを論ぜず。のる人の心にまかせて、馬とおのれらとが結縁にし侍るなどかたりしとぞ。あざりふかく感じて話せらるゝまゝに記す。

(追記)

蒿蹊因に曰、およそ鳥獣、魚虫、形象稟性人にことなりといへども、同じく天地間の蠢動、仏語もていへば法界の衆生也。しかるをあるひは、人を養ふための天物也などいへる説もあるは笑ふべし。はたしてしからば蟣、蝨、蚊、虻のために人を生ずるやと詰りし人もあり。畢竟大小相食に過ざれども、農を害する獣、狩らであるべからず、海浜の民、生産なきは、漁釣せずはあらじ。みなやむことをえざる所にして、これをいたましとて、白河院の殺生を天下に禁じ給ひしごときは、民をいかむ。只生産に預らざる人は、微物といふとも、是を殺し是を苦しむる事を断ずるこそ常の慎しみなるべけれ。殊にいたむべきは牛馬也。人をたすけて重きを負ひ、遠きをわたり、終日苦労す。しかるを老さらぼひて用うる所なしとて、餌取今俗、穢多といふは語の転ぜるなり。 の手にわたしてこれを殺すなどは、いかなる意ぞや。みづから牛馬におとれる意とはしらずや。又牛つかひ馬おふものゝ無頼がおほきをいかゞはせむ。おのれ往年逢坂の山路にて往かぬる牛車をなさけなくうちおひけるをみて、

小車のめぐりこん世はおのれまたひかれてうしとおもひしるらし

とよめるを、あはれなりといふ人も有しが、因果を信ぜぬ人は非笑すべけれど、そはとまれかくまれ、おもへるまゝ也。因果はしばらくおきても、側隠の意、人にのみ動きて、物のためにつれなからんや。畜類も物をこそいはね、意はかへりて人よりもさときあり。前に出せる山雀の話、また但馬の人たまたま京へのぼる道日ノ岡にて、車牛の立とゞまりて此人を仰ぎみるを、ふと見合せたれば、涙をながす。いとあやしくてよくよくみれば、吾もと飼し牛也。いかにしてかく労する所へは売わたされけんと悲しみに堪ず。其牛の跡に付て、今飼るゝぬしのもとへ行、三日が間の賃をあたへて大津がよひを休ませたりと、其親族の人かたりぬ。もろこしにて廟中に牛を殺し羊をさくがごときは、聞もいたましき所行なれど、古来其邦のならはしにて、先王の礼としもなれり。されど其中にも、斉宣王の牛もて鐘に釁を痛、鄭の子産の生魚を放れしごとき其情の忍ざるをみつべし。世の儒生やゝもすれば物を殺をいたまず、彼国の礼をもて口実とす。おもはざるの甚しき也。梁武の粉餅をもて、三牲の象をなして生物にかへ給ひたるを、亡国のよしにいへど、台城の変、豈これによらんや。類をもていはゞ、明の国初、或人、廟を祭るに籩豆を用給へといひしを、太祖、我祖先生る日此器をしらずとて、用ゐられざりしも、三代の礼によらざるは同じけれども、国の発る時にあひたれは人是を誹ず。何ぞ梁主をのみとがめんや。