中島棕隱(規)


詞書

本文

秋はきの錦をとこにしめなから
なにをうつらの音には鳴らん

署名


読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 中島棕隱() 漢学者。名は徳規または規。宇は景寛、通称文吉。棕隱軒。棕隱、または因果居士、画餅居士等と号し、狂詩には安八道人の号を用い、その居は道華庵、銅駄餘霞楼、水流雲在楼などと称した。伊藤仁斎の学系を受けた父徳方に漢籍を学び、伴蒿溪に就いて国学を学んだ。壮歳江戸に出て滞留十年の後文化十一年京師に帰ったが一生仕官せず、文墨に親しみ風流三昧の生涯を送った。鴨東四時雑事詞、金帚葉、水流雲在楼集、鴨川朗詠集、都繁昌記等著書が多い。(文政五 儒家 再出 詩 文政十三 儒家 再出 詩 天保九 儒家 再出 詩)
寸法: 縦35.8cm 横5.7cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 書き模様:金泥,押し模様:布目,金銀箔砂子模様
書風:
用字:
書式: 初、三、五句における墨継ぎ:なし,上下句の頭に漢字を揃えない:あり,二行の頭を同じ高さに揃える:あり
風: