梁川紅蘭


詞書

墨蘭図

本文

署名

紅蘭

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 梁川紅蘭(文化元年~明治12年) 画家。名は景婉、字は道華、号紅蘭亨、梁川星巌の室、自ら張氏と称した。美濃の人、文化元年生れ、年十七星巌のもとに嫁しその教によって詩文をよくし、且つ中林竹洞に画を学んで山水花卉をよくした。常に星巌に随って諸国の山川の勝を探り一對の好夫婦と賛えられた。頼山陽も星巌夫婦のことを「伯兎淸蠃腺にして詩を嗜むこと命のごとく、其婦も亦吟を解す、夫婦相携へて遍く西南の山水に遊び意に通すれば軟ち滞留す」と述べている。その三本木の家には頼三樹三郎等の志士が出入して星巌と共に時勢を論し画策するところが多かったので幕吏の疑うところとなり安政の大獄には星巌は己に没していたものの紅蘭は捕えられて投獄されたが遂に正義をつらぬきようやくゆるされた。明治十二年三月没、年七十六。(文政十三 文人画 天保九 文人画 嘉永五 詩歌 慶応三 詩歌 再出 文人画)
寸法: 縦35.8cm 横6.1cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 無地
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