村瀬訫之


詞書

旅宿嵐

本文

中々にうき手ならひのたひ寝には
夜はのあらしを友とこそきけ

署名

訫之

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 村瀬訫之() 文雅家。字勘作。五猪又は錬安、本丹室、真空葊等の号がある。美濃屋勘作と称した。もと江戸の人。青物町の麻問屋の主人であったが、夙に国学を修め後蘭学を学び梁川星巌、頼三樹三郎等と交わり憂国の情切なるものがあったが幕府の忌むところとなり江戸に居ることを許されず遂に発狂者として西京に流され維新の際には薩摩に在ったが世が治るに及んで京都に上り烏丸蛸薬師南に居を占め風雅の道に優游して京都において没した。其の五猪の号は生涯に五度禍難を逃れたことを意味し、忠臣倉五段目の猪に因んで名つけたものという。和漢の学はもとより詩歌をよくし天保歌話という著書がある。墓は東京築地本願寺境内に建てられている。画家村瀬雙石はその嗣子である。(天保九 文雅 嘉永五 文雅)
寸法: 縦36.0cm 横5.5cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 押し模様:絹目,版模様:霞(薄茶),天地緑金泥
書風:
用字:
書式: 初、三、五句における墨継ぎ:なし,上下句の頭に漢字を揃えない:なし,二行の頭を同じ高さに揃える:あり
風: