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三国幽眠(幽翁)
詞書
隣家楳
本文
中檣を超て咲する梅か枝を
我物顔に詠めけるかな
署名
幽翁時年七十有七(印)
読み下だし
英訳
メタ情報
略伝
* 三国幽眠( ~明治29年) 漢学者。諱は直準。字は士縄。鷹巣碌々山人と号した。通称與吉郎又は大学。後幽眠と改めた。越前三国の人。加越藩士三国鶴叟の子。十六歳にして性海寺大雄に就いて学び更に文政十二年近江の中川蟄齋に学んだ。天保三年京都に上り摩島松南に詩文を学び梁川星巌頼山陽等と交わり天保七年始めて子弟を集めて孝經を講じた。天保九年関白鷹司政通の招待に應じて同家の儒官となった。嘉永六年米艦渡来世情騒然たる時に憂国の志士と交わり国事に奔走したが安政五年捕えられて幽閉されたが後許されて再び京に出て慶應元年には興正寺の家政總裁となり剃度して幽民と号したが明治六年十月権大講義に補せられついで北野梅風会々長となり明治二十九年五月三十日没した。年八十七。孝經傍訓のほか数十種の著書がある。(嘉永五
漢学者 慶應三 漢学者)
寸法:
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縦36.2cm 横6.0cm
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紙質:
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その他:絹
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製法:
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厚短冊(裏打あり)
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模様:
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総裏金(絹布の裏に金箔を貼っている)
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書風:
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用字:
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書式:
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初、三、五句における墨継ぎ:なし,上下句の頭に漢字を揃えない:なし,二行の頭を同じ高さに揃える:あり
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風:
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