江馬榴園(修)


詞書

若草

本文

野やきせし煙のはてやわか草の
きえぬるとりにもえ渡るらむ

署名


読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 江馬榴園( ~明治23年) 医家(西洋)名は修、字は士得、権之助と称した。号は榴園又は静安居という。美濃の人、本姓は飯尾氏、大垣藩医江馬蘭斎の養子となり其姓を昌す。京都に上り松原冨小路西(後木屋町三条北)に住居し、仁和寺宮の侍医をつとめた。嘉永年中住居を有信堂と名づけ広く種痘術を施し名医の名を得た。明治五年京都府医務取締上京区副長を任命されている。明治二十三年九月十七日没、年八十七。高台寺に葬る。有穆氏薬論、和蘭薬方、薬性提要、窒速篤内科書等の著書がある。(嘉永五 医家 慶應三 医家)
寸法: 縦36.0cm 横5.0cm
紙質:
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 金銀箔砂子模様,版模様
書風:
用字:
書式: 初、三、五句における墨継ぎ:あり,上下句の頭に漢字を揃えない:あり,二行の頭を同じ高さに揃える:あり
風: