忍向


詞書

名所鶴

本文

とし浪はいく重よるとも老らくの
うきわしらしな若の浦つる

署名

忍向

読み下だし


英訳



メタ情報

略伝

* 忍向( ~安政5年) 僧(法相宗)幼名宗久又は久丸と呼んだ父は大阪の医師玉井宗江(号鼎斎)長じて京都清水寺成就院蔵海に就いて得度し中将房と号し忍鎧(一に忍介)と名づけられたが、後に月照と字し忍向と改名した。尚松間亭、無隠庵、菩提樹園等の別号がある。天保六年二十三歳にして師席を継ぎ成住院の住職となった。常に青蓮院宮及び近衛家に出入し憂国の至情を披瀝したが此の間近衛忠煕に就いて歌を学んでいる。後職を弟信海に譲り勤王の志士と交わり国事に奔走したが幕吏の追窮きびしく近衛公及び老女村岡の斡旋により西郷隆盛を知り、その庇護のもとに薩摩へ逃れたが安政五年十一月十七日、薩摩潟に身を投じて没した。年四十六。「曇りなき心の月の薩摩潟沖の波間に頓て入りねる」「大君の為にはなにかをしからむ薩摩の追手に身は沈むとも」という辞世の和歌を残している。(嘉永五 和歌)
寸法: 縦36.5cm 横6.0cm
紙質: 和紙
製法: 厚短冊(裏打あり)
模様: 型模様:唐花たてわく(白雲母),押し模様:布目,金銀箔砂子模様:四辺銀泥
書風:
用字:
書式: 初、三、五句における墨継ぎ:あり,上下句の頭に漢字を揃えない:あり,二行の頭を同じ高さに揃える:あり
風: