大倉汲水詞書本文こしかたにあまたのとしをかそへても 署名汲水 読み下だし英訳メタ情報略伝* 大倉汲水( ~文政8年) 鑑古筆家。姓は管原、字は実福、幼名政吉、俗称大倉治兵衛初め了恵後に汲水と号した。尚古昔斎の別号がある。京都の人鑑古家で光琳風の画をよくした大倉是誰の男、西掘川綾小路南に住し父の業を継ぎ鑑古を業としかたわら光琳風の画を描がいた。天明七年落飾して了恵と号し、文化十四年聖護院に盈仁親王から汲水の号を腸わり尓来汲水と称した。尚また一条准后忠良公から古昔斎の号を付興されている。文政八年二月廿九日没、年六十三。没後嘉永四年二月廿五回忌に際し聖護院雄仁法親王から法橋位を贈られた。(文化十 古筆 文政五 古筆)
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