吉益順詞書不羨翁の薙髪し給ふを賀し奉りて 本文よのちりを拂らふ心やすなを成 署名順 読み下だし英訳メタ情報略伝* 吉益順() 医家、名は周助、宇は信夫、北州又は鴨洲と号した。京都の人、猗宮府待医法橋靑沼雄安の第二子。初名を道立と云った。文化九年医師吉益南涯の養子となりその季女を妻としたが同十一年南涯卒したためその後を嗣ぎ三条東洞院西に内科医を開業し、且つ門生の教導に努め大いに業績を挙げた。後年加賀侯の召によってその侍医となり金沢に移住し、此の地に没した。墓も金沢に在るが没年は詳らかではない。著書に「金匱精義」がある。(文化十 医家 文政五 医家 文政十三 医家)
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