平安人物志(明和5年版) ( 明和五戊子年三月吉且 ) Page 00012 に見られる記述

分類: 学者
吉益為則 - 号 : 東洞 - 字 : 公言 - ( 東洞院竹屋下ル丁) - (俗称) 吉益周助


平安人物志(文政5年版) ( 文政五年壬孟秋成刻 ) Page 00280 に見られる記述

分類: 医家
吉益順 - 号 : 鴨洲 又号北州 - 字 : 信夫 - ( 三条東洞院西) - (俗称) 吉益周助


平安人物志(文政13年版) ( 文政十三年寅初冬再刻 ) Page 00424 に見られる記述

分類: 医家
吉益順 - 号 : 鴨洲 又北州 - 字 : 信夫 - ( 三条東洞院西) - (俗称) 吉益周助


平安人物誌(嘉永5年版) ( 嘉永五年壬子正月改刻 ) Page 00726 に見られる記述

分類: 医家
吉益震 - 号 : 復軒 - 字 : 至静 - ( 松原堺町西) - (俗称) 吉益周助


平安人物志(慶応3年版) ( 慶應三年丁夘初夏改刻 ) Page 00875 に見られる記述

分類: 医家
吉益震 - 号 : 復軒 - 字 : 至静 - ( 高倉四条南) - (俗称) 吉益周助


「「平安人物志」掲載諸家関連短冊」における解説

名前: 吉益順
解説: * 吉益順() 医家、名は周助、宇は信夫、北州又は鴨洲と号した。京都の人、猗宮府待医法橋&cx9751;沼雄安の第二子。初名を道立と云った。文化九年医師吉益南涯の養子となりその季女を妻としたが同十一年南涯卒したためその後を嗣ぎ三条東洞院西に内科医を開業し、且つ門生の教導に努め大いに業績を挙げた。後年加賀侯の召によってその侍医となり金沢に移住し、此の地に没した。墓も金沢に在るが没年は詳らかではない。著書に「金匱精義」がある。(文化十 医家 文政五 医家 文政十三 医家)

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