宇都城崑台詞書月前蛬 本文月寒みなれもつつれをさしわひて 署名益夫 読み下だし英訳メタ情報略伝* 宇都城崑台( ~嘉永元年) 医家。名は干謙。字は益夫、又は天放。号は崑台又は霞谷。通称宇都城太一郎。尾張名古屋の人。幼より学を好み松田棣園、浅井貞庵、平野龍門に就いて医を学び、年十八笈を負うて京に上り中神琴溪の門に入り研学の後車屋町押小路南に開業、古医法を以て名を成し、風寒熱病方經篇一巻、古訓医伝二十五巻、解莊二十四巻、日本医譜三十巻のほか文集、詩集、歌集等多くの著書を残した。嘉永元年五月八日没、年七十。南禅寺慈心院に葬る。(文化十 医家 文政五 医家 文政十三 医家 天保九 医家)
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