小原端木詞書山家鶯 本文やま窓の明れは来鳴鶯に 署名端木 読み下だし英訳メタ情報略伝* 小原端木( ~天保11年) 画家。始め井上を姓とし端木又は慶雲斎と号した。名は常之初め三右衛門後に唐輔(廣祐)と称した。倉敷の富豪宮崎屋夏鼎(号素堂)の子、父母と共に京に上り木屋町三条南に住し氏を小原と改め、小沢芦庵に歌を学び岸駒に就いて画を学び一家をなした。老後倉敷に帰り鶴を養ってこれを写し妙を得た。堂上家に出入して法橋に叙せられている。天保十一年八月没。年七十三歳。(文政五 文人画 文政十一 文人画 再出 文雅 天保九 和歌 再出 文人画)
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